療育実践報告 その1

トラウマ克服

子供プールでしか遊ばない人
理由は強い行動制限か?

先日の水泳大会で療育プログラムメンバーのAさんが25mを完泳した。Aさんにとっては無論のことだが、療育実践者の僕にとっての一つの到達点だった。
ここまでの道程を振り返りながら、僕の療育プログラムのレッスンの一例として紹介する。

水泳課題(スポーツとして取り組む泳法獲得)は発達支援の通過点だ。
水泳上達が目的ではなく、総合的な発達高次化への手段の一つとして捉えている。その過程で得られるものは、運動と感覚のステージ高次化、達成感や心的安定、目的へのプロセスと結果の因果律経験、更に身体運動を通してのエネルギーコントロールなど様々な要素だ。

Aさん。成人男性。ASD。
彼は7年前からレッスンに参加している。当初は水環境へのトラウマを思わせるような恐怖感を抱いているように見えた。
具体的な経験が何なのかは分からないが、水環境は好き(もし嫌いであればそもそもレッスン会場であるプールに来ない)なのに異常な怖がり方を示し、もっぱら子供プールで潜って遊んでいた。息こらえ潜水では20秒近く潜っていられるのに、その場が子供用プールに限定されているのだ。
身長175センチと体格に恵まれた彼が、自分の膝程度の水深の子供プールで夢中になって潜る姿は、心と身体と機能と能力のアンバランスを持て余しているようだった。

発達障碍者の感覚遊びの一つに「水遊戯(潜るだけではなく、過飲水や流水に掌を晒すなどの幻奇行為も含む)」があると言われる。僕はこの粗雑で乱暴な分類には組みしない。
感覚統合の発達段階として診るのか?
疑似胎内環境への希求なのか?
刺激入力の対象としての水なのか?
聴覚、触覚、視覚、体温維持の自律神経、浮力、水圧、など様々な要因が絡まるのが水環境であり、一つ一つは全く異なった性質であり、その要求目的と行動結果を十把一絡げに捉える姿勢は支援や療育には程遠いからだ。

一般の大人用プールの水深は120センチ程度。A さんにとっては決して怖い深さではないはずだが、どんな誘い方を行っても決して大人用プールには入らない。そこで示す拒否は、好悪表出を超えた生命危機を感じさせる強い離脱訴求だった。その拒否強度は恐らくAさんが受傷したトラウマの深刻さに正比例しているのだろう。

トラウマや躓きの原因は水深という物理的要素だけではない。
人という要因、即ちこの場面では介助者や指導者という障碍児者にとっては支配的立場に成り得る最も影響を持つ環境因子が最大のトラウマとなる事が少なくない。
Aさんの保護者からの聞き取りによると、学童期に水泳教室に通わせていた。そこは健常児の教室だったが、ASDの彼を受け入れてくれた。しばらく通わせていたが、いつ頃からか通うのを渋り出した。保護者は障碍児故のコミュニケーションの難しさで彼が居辛くなったのだと判断して辞めさせた、とのことだった。
基本的な水慣れが身についている現在の様子から、当初は楽しんで通っていたことは推測できた。水環境の基礎動作、例えば、水中での鼻排気は生得的本能や自然に身に付くものではなく、指導や模倣により意識することでできるようになるもので、Aさんは既に難なく行えていたからだ。

発達療育プログラム

障碍による発達と成長のアンバランスに加えて、生育期の不適切な支援や指導による二次障碍での精神面の躓き、という見立てのもとアセスメントを行い、それに沿ったプログラムを組み立ててレッスンを始めた。
僕が発達療育プログラムを行うにあたって意識している原則がある。
・発達の躓きや凸凹(個人内差)があって、それが当事者の生き辛さに繋がっているのか?
・その生き辛さは当事者が社会生活を送る上での制限や不利益に繋がるのか?
もし、これらが認められなければ介入は不要であり、療育など大きなお世話に過ぎない。誰にでも躓きはあるが、見立てのポイントはその深刻さやそれによる生き辛さの程度なのである。

見立て/仮説

「プールでの経験による傷つき」(仮定)によって「水は好きだが浅いプールで遊ぶ」のは深い表象(潜在)の顕在化であるとするならば、顕在へコミットメントすることで表象の修復なり克服なりが行える、という仮説を立てた。それにより、発達ステージの段階が総合的に補完的に上昇することが期待できる。
つまり、「深いプールで泳げないこと」それ自体は社会的困難という大げさなものではないし、例え深いプールで泳げたとしても生きる上では大きな利益には繋がらないが、その過程で得られる表象の変化こそが発達内差の低減に繋がるという考え方である。

従って、プールプログラムの段階的手順を踏みながらも、僕が重視したのはトラウマの克服だ。ここで参考にして、プログラムに取り入れたのがポリヴェーガル理論(スティーブン・ポージェス博士/迷走神経理論)である。また、アナット・バニエル氏の発達理論も常に意識した。
簡潔に言うと、ポリヴェーガル理論からは「安心・安全」の提供。そしてその前提である信頼関係の構築と見通しを立てられる進め方。
アナット理論から引いたのは「緩い目標は設けるが、そこへの達成期間はあえて設けない」というものだった。

療育実践報告その2

療育実践報告その3


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