療育実践報告 その3

最適なタイミングで最高の環境が用意される

プールの備品に「赤台」というものがある。
プールフロア(水深調節用の底上げ台)とも呼ばれ、水深を浅くする目的で設置するものだ。子供用プールを持たない施設では、1レーンに赤台を敷き詰めることで約40センチ底上げした浅いレーンを造ることが多い。
通常、それぞれのレーンはコースロープで仕切られるのでレーンを横断的に使うことは出来ないし(潜水してロープをくぐれば可能だが)、またそういった使用方法は想定されていない。
ところが、この頃レッスン会場として使っていた障害者スポーツセンター内のプールには、赤台設置のレーンと、隣接する非設置レーン(通常水深/約120センチ)との間にコースロープがない設定だった。
その主な目的はリハビリや歩行訓練の水中歩行で、赤台と通常水底との40センチの段差昇降を行うためレーンを区切るロープが不要だからだ。
つまり、2レーン分のコース幅に、赤台での浅い水深と、通常水深が存在してそこを横断的に行き来できるのだ。このレーンの使用は歩行訓練を想定したセッティングになってはいるが、だからといって歩行訓練専用ではない。施設利用証さえ持っていれば誰でも利用できる。Aさんとて例外ではない。
従って、それはAさんの発達ステージにとり、最適なタイミングで現れた最高の環境となった。

自主的な選択

半年間は赤台から通常水深への移動への拒否が見られたものの、赤台で行う平泳ぎドリルに不自由さとストレスを体感し始めていたAさんは、少しずつ赤台から降りることに挑戦を始めた。
ここで重要なのは「自主的な選択」だ。
Aさんのトラウマの具体的素因が何であれ、それを克服する最後の一歩は能動的に、そして主体的に踏み出さなければならない。その対峙姿勢こそが表象克服の必要条件で、そんなふうに踏み出すための環境として、そこは最適な施設だった。
躓きにより現象としてAさんからの表出は、どのプール施設に行っても浅いレーンと深いレーンがある場面では浅いレーンを選択することだが、深いといっても身長175センチのAさんにとって水深120センチは生命の危機を感じる水深ではないだろうし、ましてやAさんは20秒以上素潜りができるのだ。もしかしたら深さではなく、色や感触、音に響きなどに拒否反応を示しているのかとも考え、その推察もあって複数のプール施設を利用していたのだが、どこの施設でも深いレーンには入ろうとしなかった。やはり深さという属性が大きな理由であることはほぼ間違いなかった。しかし、それはあくまでも顕在化されたものの客観的な見方であり、問題なのはAさんが抱えている表象であり、内面でどんな葛藤が起こっていて、何にフォーカスしているのか本当の所は僕には知る由はない。
学童期に足の届かない深さのプールに無理やり突き落とされたのか、深いとは知らずに誤って大人プールに入って死にそうになった経験があるのか、あるいはこちらの想像力を遥かに越えた事態があったのか、それが何にせよ、Aさんが「深い」と自己規定するレーンに自らの意志で向かうことでしか解決はしないのである。

更に半年かけてAさんは逡巡しながらも少しずつ踏み出しを試みていた。誘いかけやAさんの好きな楽しいメニュー(浅いレーンでの潜水や股くぐり)を交えつつも、当然ながら圧力や無理強いは行わなかった。
そしてレッスン開始して3年半が経過した頃、通常水深への拒否は殆どなくなっていた。

Aさんが深いレーンに向かえるようになった時、僕は敢えて褒めなかった。
アナットメソッドでも提唱している事だが、行為の達成を褒めすぎないという療育姿勢はとても重要である。
褒めることは被験者のモチベーションに繋がると幼児教育などでは肯定的に捉えられていて、もちろん褒めることそれ自体は悪い事ではないが、行為達成の場面に立ち会った療育者は微笑みながら静かに見守ることが大切だ。その場面では、彼らは自らの成功体験を脳内で振り返り、味わい、そしてそれを行うために必要なニューロシステムが起動しモジュール(感覚器からの情報を処理しアウトプットするまでの一連の脳内の流れ)が再構築される、とても大切な時間帯なのである。喜びを共有し共感することも重要だが、ほどほどにして情報処理の間は静観し邪魔すべきではない。
そしてこの場合でもう一つ大切なことは「もう一度やって」と再現を要求しないことだ。
やりたければ黙っていても行うだろうし、あるいはたまたま何かの弾みで出来たのかも知れない。ならば再現は難しいし、そのことで落胆させる必要もないからだ。
この時のAさんは、行えたこと~すなわち浅いレーンから深いレーンへの移動をゆっくりと確かめるように、歩きながら、そして泳ぎながら、潜りながら、何度も行っていた。

大会出場へ

4年目を迎える頃、Aさんと保護者に今後のレッスン目標として大会出場を見据えると伝えた。
障碍者水泳大会とはどんなものかを知ってもらうため、2019年の大会を見学してもらった。
翌年の出場予定ではなく時期は定めないこと、他者との競争が目的ではないこと、などプログラムとしての出場姿勢も同時に説明した。
その後、2020年、2021年と新型コロナウイルス感染拡大の影響で大会開催は中止となったが、2年半のレッスンの中で「大会に出る」という意識付けは軽く行い続けていた。具体的目標を定めそれに向けてのプロセスを味わうこと、そしてそれが成果に繋がるエピソードの体験は大切だからだ。

そして2022年、大会が3年ぶりに開催されることが決まり、本プログラムからも数名の選手が出場することになった。
Aさんにも出場の意向を打診したところ、彼ははっきりと「出ます」と意思表示した。
順位を意識しない出場とはいえ、スイム前後の所作を含めて「ルールを守ること」、「進行の流れに従うこと」などの療育課題は少なくない。
自分の順番を待つ(スイム前の所作)、スターターの合図に合わせて壁を蹴ってスタートする(水中スタートのルールに従う)、ゴールでは壁タッチを審判に分かるようにしっかり行う(他者にアピールする)、ゴール後は速やかに退水する、など泳ぐこと以外の課題は多く、それらを大会役員という衆目注視の緊張下において行うのは初出場のAさんにはストレスの多いものだ。
スタートラインに整列できれば今出場の目的は達成、その先については翌年以降の課題とすれば良い、と僕は考えていた。

2022年障碍者水泳大会

新型コロナウイルス感染が終息しない中で開催された大会は、例年とは大きく異なる進行となった。そのことはAさんにとってラッキーなことだった。
人の密度を下げるため、参加人数を制限し、感染防止のため家族の観戦も禁止するなどだ。これにより、極めて少人数で行われる静かな大会となり、視覚・聴覚への刺激も穏やかなものとなった。
とはいえ、大会である以上、審判員、スターター、進行役員、ボランティアスタッフ、そして他の出場者などAさんにとっては見知らぬ多くの人々が立ち合う緊張感の下で進行するのだ。

大会受付を済ませると待機所の体育館へ向かう。これまでの大会なら2~300人の選手と介助者・引率家族などでひしめき合う体育館も、今回は4~5名の選手に、3~4名の進行役員がいるのみで静かである。

以下がスタートまでの流れだ。
水着に着替え、体育館内に設けられた「集合」場所への呼び出しを待つ。「集合」とは出場者待機所であり、ここへの参集から競技が始まる(厳密には受付開始からだが)。ここで10分程度待ち、出場組ごとコース順に整列してプールに移動する。プールサイドでは前組の競技が行われていて、水を打ったような静寂の中、たんたんと競技が進められている。応援の声など一切ないこともAさんにとってはラッキーだった。
更に10分程度、自分の競技順がくるまで待つ。
自分の競技順になるとスタート台前の椅子に移動し座る。
アナウンスにより1人ずつ名前と所属団体名が紹介される。
スターターのホイッスルの合図により、選手はスタート台、あるいは入水してスタートバーを握る。
「オン・ユア・マーク……ピッ」でスタートする。

普段の生活では自分のリズムやタイミングで動作することも多いAさんだから、上記のような他律的進行では心的負荷が高いので、今回はスタートに立てれば良いと考えていた。例えばスタートでフライング(失格)したとしても、良しとするという僕の思いを裏切るように、競技進行に行動を完全に合わせ、待ち、スタートし、そしてスイムも途中で着底することもなく完璧なパフォーマンスで25mを泳ぎ切った。
そしてスマートな動作でプールから退水したのだった。

実践者としてこの7年間を振り返れば、療育実践は常に互いにとっての研鑽の場であることをこの日のAさんのパフォーマンスが再認識させてくれたのだった。

療育実践報告その1

療育実践報告その2

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