見出し画像

ベトナム

ホーチミンに到着。バスを降りて安宿を探していると地元のおばちゃんから熱いラブコールを受け、そのおばちゃん一家に泊まることにしました。ここでは無許可で部屋を貸している地元民も多いのですが、他の安宿よりも安いし、僕らのような金銭困難者にも助かります。需要と供給がいいバランスで動いています。居候的な感じでベトナム生活がスタートします。

お世話になっているおじちゃん、おばちゃんは全く英語を話しません。けれど、いつもニコニコしていて気持ちがいいです。起きたら部屋の片隅に石鹸ぐらいのゴキブリがひっくり返っていたけど、それもなかったことにします。

僕がいた時期は雨季でいきなりスコール(にわか雨)が降りだします。それは突然、恋する乙女のようにやってきます。周りのことなど関係なしにじゃぶじゃぶ降るので、手がつけられません。

そのスコールの合間になんとか戦争証跡博物館に行ってみました。そこではベトナム戦争の悲劇を伝えていて「アメリカ人がいかに鬼畜である」かと、ここぞとばかりに説明してくれています。見学に来ているアメリカ人がいたら、結構バツが悪いと思います。僕もアメリカという国自体はいまいち好きになれないけれど (人や文化は別として) 、それでもかなり一方的な感じで正義と悪が描かれていて、すがすがしいです。

昔、何かで読んだのですが「なぜ、戦争が無くらないか?」という問いに対して、「人が愛し合うから」と答えていました。人が愛し合う限り、大切な人を理不尽に奪われる限り、争いごとが終わらないという内容でした。妙に納得したのを覚えています。

その後、ホーチミンから24時間バスに乗り、ホイアンへ移動します。トイレや空腹、退屈に耐えながら、ひたすらバスに乗り続けます。移動中は暇なのでいろいろ昔のことを思い出しました。特に小学生時代。なんで足が速いだけの男子がもてていたんだろう。給食で牛乳を二本飲んでいた奴は今も飲んでいるのだろうか。

長期旅行とは移動の連続です。なので、2〜3時間ぐらい変わらない景色を見ながら、思い出すという行為が頻繁にあります。

日常生活を過ごしていると、「自分の行動」を思い出すのは1日単位ぐらいで良いか悪いかの判断をすると思うのですが、旅をしていると時間だけはあるので「あの時の自分の行動は恥ずかしかったけど、後々、そのおかげで成果を出せたな」「あの時に別れたことで、出会いもあったな」と自分の人生単位で思い出して、判断することができます。これこそ長期旅行の醍醐味かと。

もちろん、恥ずかしすぎることも思い出してしまうので、そういう時は昼間から現地のビールを飲んで水に流すのをおすすめします。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?