メイクしてもブスなのに、メイクする意味ってあるのか?について


先日ツイッターで書いたことに女性の方々から反響を貰えたので、自分のまとめとして記しておきたいと思う。真摯に答えていたはずだが、なぜかリプしてくれた女子大生からはTwitterをブロックされていた。あくまで議論というのがこちらの認識だが、人によってはセンシティヴな話題だったんだろうなと思った。

以下、自分がツイートしたことを原文ママだ

”化粧してブスな人って化粧しなくてよくないかと思うんだけども、どうなんでしょう
仮に1〜50までブス 50〜60まで普通60〜70可愛いより 70〜100美人、可愛いだとして、化粧して1〜50の場合ってそのメイク用品や時間って無駄じゃない?という発想”

言いたいことはこうだ。女性の方々の大半は毎日メイク(化粧)をされると思う。その理由はなんでもいい。可愛くなりたい、綺麗になりたい、そもそもメイクをしたいかどうか以前の問題として社会的なマナーとしてメイクをすることになっているから。これは話していて気づかされたことだが、メイクをすることによって自信を得られるということは、当然にあると思う。本記事や主張では、それについて一切否定するつもりはなく、そもそも故人の目的を否定するなんて野暮なことは元より考えていない。 今回自分が主張したかったことをまとめてみると、このツイートであるように、そしてメイクを別にしたいと思っていない人がメイクをして結局ブスだったらしない方がいいのではないか?ということだった。

これは自分が男性であり、何かしら女性の細かな事情や女心について理解が乏しいことに起因するかもしれないが、メイクの目的を他人依存的な目的だと仮定した時に、ここでいう1~50のブスのままではただメイクをした時間、そしてそれに費やしたお金といった総合的なコストが無駄なのではないかと言いたい。他人依存的な目的とは、はっきり言ってしまえば、モテたい、可愛い(美人、綺麗)と思われたい、指名を貰いたいなど、誰か他人が見て「お、この子いいな」と思うような目的のことを指す。もちろん、ブス、notブス、美人という評価は人それぞれで異なるものであるし、モデルになっている女優を取り上げても可愛くないと判断する人もいるだろうから、1~50の間のブスというのも人によりけりである。

ここでは、じゃあメイクした私、すっぴんの私は1~50なの?60以上なの?という人によってコロコロ変わるが、もしかしたら現代的な手法で、たとえば数億くらいの顔のデータを持っており、現代人がどういった顔を美しい、可愛いと判断するかといったについて分析できるAIがあるような話は想定していない。あくまでも、結局ブスかつ、別にメイクをしたいとも思っていないが惰性でしている人にとってメイクをすることは必要があるのか、意味があるのか?ということについてだった。ここまで詳細に書けば、答えはさすがにNoということになるだろう。くどいようだが、個々の目的について否定するつもりは毛頭ない。

この話に関連して頂いた質問で面白かったものについてピックアップしてみようと思う。ニュアンスを変えないで、掲載する

Q「すっぴんで70の人が化粧して80になるのであれば、70の人は化粧品代が無駄になるからすっぴんで出かけるのがいいということか?」

A「そう思う」

これは、上で書いたようにメイクが他人依存的なものとして成立しているという文脈で言っている。乱暴な言い方をすれば、メイクをしなくても別に可愛いし、周りもそう思ってくれる人(ここでいう70くらいの人)がわざわざメイクをする必要はないと思うというのが筆者の見解である。

自分が男性ゆえに理解の甘い部分があると思うが、見ている限りメイクをすることを楽しめていない女性という層はそこそこいるように思う。感覚値の話で。これについては、別の方が自分のツイートから見て書いていたことなのだが、義務教育ではメイクについて一切教えてくれないし、そればかりかメイクして登校しようものなら怒られる(事実、自分の通ってきた中高もそうだった) そうした徹底したメイクについて公的に教えることがないにも関わらず、社会に投げ出された瞬間にメイクはマナーである、メイクをしないで外に出てくるのは失礼であるという風に言われ始める理不尽が待っている。

これはもう社会的に仕方のないこと、成人女性として社会に投げ出された以上、抗えないこととして思われているように思われる。正直に言ってしまえば、メイクをする/しないというのは本来的に個人が決定すべき事柄であるし、するにあたっては時間、お金といったコストがかかる。よって、もちろんしたくないという人は徹底的に抗えばいいと思う(もちろんそれは会社に毎日行くような人にとってはマイノリティに属することになるし、そのことによって避ける人も出てくる)言い方を変えたら、メイクをしないで外に出てきた私の顔は化物のソレに見えて耐え難いということですか?とでも言えばいいと思うし、そう振る舞っていたら格好良い。この辺りは男性と女性で比べた際に、女性側が明らかに大変そう。たとえば、スーツを着て出社するとなった時に男性に必要なのは基本的に髭を整える(寝癖を整えるなどは大前提としてそう)ことで、髭剃りとクリームくらいだが大したものではない(全然お金も時間もかけてないし、シャワー中に処理できてしまう)程度だが、女性にとってはメイクをするというのが義務となっている(因みにちゃんとしていない人もしっている)


余談だが、この話をした時に、コメントしてくれた女性の方や、これについて個人的に見解を述べてくれた女性からは、とにかく少しでも可愛くないといけないという使命感が伝わってきた。自分の書き方が悪かっただけかもしれないが、「1から20、30に変わって、結局はブスだったとしても自分の中で20、30になれたことで自信を持てる人もいるのだからメイクの意味はあると思います」という意見をいくつか頂いた。それはそれで結構だと思うのだが、少なくとも自分の意見をくれた人たちは少しでも可愛くあらねばならない、そうでないと価値がないと自分に対して思っているのかと感じた次第であった。勝手なことを言っていいのなら、特に若い女性(10~20代)の間ではその傾向が顕著なのかもしれない。この着想を得たのは、ある若い女の子が仲が良かった(と本人が言っている)仲間の女の子と喧嘩をして絶交をした際に「このブス!まったく可愛くもないくせに!」と捨て台詞を吐かれたらしい。悪口を言う人は相手が最もダメージを受けると思われるであろうことを言う。それはもちろん自分を基準にして。そうなった時にこの女性が容姿に対するコメントを放ったことは、自身もまたブスであること、つまり可愛くないことには価値がない、否定されるべきものだという感覚が前提にあったのだろう。

自分は別にフェミニストのつもりもないし、女性の方が面倒くさいと感じていたとしても、毎日メイクをしているようなことがあっても、まあどうでもよく、女性の権利であるとか、目覚めよ女性とか言いたいわけではないのです。ふとしたことから女性のメイクについて考えるきっかけを得られ、こうして3000字くらいダラダラと思ったことを書けたのでよかった。

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