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2021年2月の記事一覧
この篇も寓話に満ちています。
祭儀をとりしきる神主が、儀式で犠牲になる豚に語ります。
「お前は、死を嫌うことはないだろう。私は、3ヶ月もごちそうを与え、7日もわが身を謹慎し、3日も潔斎したうえで、豪華な肉台にお前の肩と尻の肉を載せるのだから、お前も進んで従うだろう。
だが、人間が豚の身になれば、まずいエサを与えられ、狭い檻の中にいるほうが、殺されるよりマシだ、と云うだろう。
ところが、人間として
「至楽」とは、「最高絶対の楽しみ」のことだそうです。
それは、無為によって実現されると云うそうです。
荘子が旅をしている時、道ばたでドクロをみつけます。
荘子はドクロに死んだ理由を問いかけ、ドクロを拾い、枕にします。
その夜、ドクロは夢に現れ、死後の世界について語ります。
ドクロによれば、死後の世界には身分もなく、仕事もなく、悠久の時を過ごすので、心はひろびろするそうで、南面の王者の楽しみよりも
この篇では、荘子を主人公とした説話が収録されています。
荘子本人が書いたと云うよりも荘子を慕う後生の人が書いた文章と云えるかもしれません。
荘子が川で釣りをしていたとき、楚の王は二人の家老を派遣して、荘子を召し抱えようとしました。
しかし、荘子はまるで興味がなく、家老たちの顔もみないで、次のように云ったそうです。
「楚の国では、神霊が宿った亀の甲羅があり、亀の死後、三千年も経っているそうだ。王は
この篇では、河伯と若の対話の他に、ムカデと蛇と風の対話などの短い説話が中心的です。
タイトルの「秋水」とは、「秋になると雨が多くなり、川の水かさが増え、それを秋の水」と云うそうです。
この篇に登場するのは、もはや人間ではなく、河伯と云う黄河の神と若と云う渤海の神の対話から始まります。
河伯は秋の洪水の時に、黄河にあらゆる川の水が流れ込んだことで、黄河の河幅が広くなったのに喜び、世界中のすばらしいものが自分のもとに集まったと思い、河の流れに沿って移動しました。
しかし、渤海までた
この篇は、「性を俗に繕めながら、」と云う一文から来ています。
この篇では、「志」とは本来、「高い地位を得ること」ではなく、「本来の自然の楽しみをそのままにして、それ以上こえないこと」を云うそうです。
この篇では、「精神」の大切さを説いています。
もっとも、たんなる精神論ではないのですが。
この篇では、孔子は老子に説得されています。
儒家よりも道家の方が素晴らしいと云う内容となっています。
この篇でも孔子が出てきます。
ただ老子に教えを乞うなど儒教的な要素が少ないです。
この篇では、「ことば」と「書物」の関係を述べています。
荘子によれば、「書物」とは「ことば」を書き連ねたものに過ぎないと述べています。
「ことば」が重要なのは、「意味内容」だそうで、「意味内容」自体は「ことば」だけでは伝え切れないそうです。
ただ、荘子の時代も書物を重要視する人が多かったそうです。
しかし、荘子によれば、それは目と耳で、実情を把握するようなものだと述べています。
この篇では、「帝道」、つまり政治のあり方を説いています。
「尊卑前後の秩序」を説くなどの儒教的な論理が展開されているので、荘子の書いていない部分があるそうです。
この篇を読んでみると、荘子が生きていた古代中国でも「世間」(世俗)と云う概念はあったようです。
荘子によれば、当時の世間では、孝行な子供が親におもねらなかったり、忠義な臣下がその君子にへつらわないのは立派だ、とされていたそうです。
親や君子の言ったことを何でも賛成するのは、「不肖の子・臣」と呼んでいたそうです。
荘子は、世間の人間は、善いことにただ従うことはお追従や機嫌取りとは云わないではないかと