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かき凍る夏

かき氷というものは、 
いつからこんな
ゴージャスな食べ物になったんだろうか。 

という思考が頭に浮かんで、
慌ててかき消した。 

あ、おばさんみたい…と、怖くなったのだ。

4連休前の平日。
喧騒をさけるべく、一足先に帰省した。

バブル崩壊後、観光客が激減し、
寂れまくっていた駅周りは、
この数年のインバウンドの恩恵を受けて
かなりの盛り上がりを見せていた。 

おしゃれで心地よいカフェが増えて、
個人的にはかなりうれしい。

天皇陛下御用達の老舗旅館が
数年前にプロデュースした
オーガニック系のおしゃれなカフェで
ランチをするつもりだったのに、

お店の前にあるかき氷の絵に
母のテンションがダダ上がりし、
スウィーツタイムに変更となった。

キャラメルなんとか…という
長い名前のかき氷が、
頭の上にアイスを乗せて、
山盛りで運ばれてきた。 

「かき氷」というワードで
私が連想するのは
こういうものじゃない。

ぽてっというペンギンの型をして、
頭に黄色い取っ手がついた
古びたかき氷器だ。 

 夏休み、家で作った氷を
ペンギンの頭の中に入れて、
タケコプターのような取っ手をくるくるを回す。

下に置いたガラスの器に
ガリガリとした氷が落ちてくる。 

そこに、イチゴ味と書かれた
 着色料いっぱいの真っ赤な氷みつと、
心なしか笑っているように見える
ぱっちりお目々の牛が描かれた練乳をかける。

末っ子だった私は、
騒ぎながら出来上がりを待つ
というのが 主な役割ではあったけれど、

かき氷を作る、ということが
アミューズメントパークに行くくらいに
楽しいことだった。  

ノスタルジックな思い出の濃さと反比例して、
味の記憶はあまりない。
おそらくおいしかったのだろう。  

海の家や、お祭りで食べたかき氷も同じである。
潮風のかおりやイカ焼きの匂いの中の、
手に持っている氷の冷たさや、 

浴衣の気恥ずかしさやお祭りの音の中で
食べられずに溶けていく赤い色のことは、
鮮明に残っているのに、
 おいしかったという記憶があまりない。 

私にとって、かき氷は、
主役になるようなものではなく、
懐郷感をかき立てて
夏の思い出を想起させるための
ただの脇役なんだと思う。  

そんなことを考えながら、
まぎれもなく主役ですと主張する
ゴージャスなかき氷を食べた。 

さすがに、おいしかった。 

その店の5種類のかき氷を
全部食べてみたいと、母が笑っていた。  

たぶん、次の帰省のときも、
同じことを思いながら、 
主役のかき氷を食べると思う。

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