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デイドリーマーであること

「ぼーっとするんです」  

そのクライアントさんは、まるで他人事のように、そんな話をした。

ミスが多い、同じことを何度も間違える、言われたことを忘れてしまう…。
仕事は嫌いではなくて、上司はとてもいい人で、先輩たちのようにテキパキ仕事をこなせるようになりたい。
自分ではとてもがんばっているつもりだけれど、なんだかうまくいかない。

そんな話をしながら、でも、彼女はあまり困っていないように見えた。
そういうものなんだ、と、その現状と自分を受け入れてさえいるようだった。


― 困って、いますか?

 そう問うと、 

 「・・・」困ったような笑顔を見せた。
 そして、「ぼーっとするんです」と話し始めた。 

子どものころから、ふとした瞬間に意識が飛んでいることがある。
 友だちの輪の中にいるとき、誰かと2人で話しているとき、注意されているとき。
自転車に乗っているときでさえも。
 眠いわけでも、嫌なわけでもないのに、意識が途切れて、何を言われていたのか、何が起きていたのか、わからなくなるときがある、と。

自分への意識が薄い人だった。
ドアや壁、あちこちによくぶつかる、気温の変化に気付かずに風邪をひく、 疲れている、眠れているなどの感覚があいまい。 

上司から言われたという仕事の評価を聞いていくと、あぁもしかして、と思い当たった。

 私は医師ではないので、そうかもしれないと思っていても、口には出さない。
けれども、ADHD(注意欠如・多動性障害)の特性と重なる部分がたくさんあるなと思った。  

そういう特性を持つ方で、私のところに来られる方は、「もしかして…」という思いとともにやってくる。
でも彼女はまったくそんなことを思ってもいない様子だった。

ADHDは落ち着きの無さや衝動性などが目につきやすいが、一部、不注意優位の方は空想にふけったり、ぼーっとしやすいということも言われている。

 アメリカでは Day dreamer 、昼間でも夢を見ている、というふうに言われている。  

子どものころの話を聞くと、少なからずしんどさを抱えて生きてこられたようだった。
けれども、世界とは、社会とはそういうものなんだ、と、自分自身に言い聞かせていたようだ。  

Day dreamerと揶揄されているけれど、子どものころの彼女は、きっともっと夢の中に浸りたかったんだろうなと思う。

ある教育論では、子どもは7歳までは夢の中で生きている、と言われている。
潜在意識と顕在意識の狭間で生きている、と。 

子どもたちは夢(潜在意識)の世界をたっぷり過ごして、そこでエネルギーをもらう。
それが人としての土台になっていく、と。  

子どもでさえも早いペースでの発達と成長を求められてしまう今の時代。
子どもたちは、狭間の世界で過ごす時間を奪われてしまった。

子どものころにズレてしまった何かを、抱えながら大人になった。
今、彼女は懸命に生きている。  

とはいえ、現実社会。
仕事では、もちろん成果も成長も求められる。

彼女の場合、発達障害、ADHD、そういうレッテルが必要なのではなくて。

― 自分のこと、少しずつ、わかっていきませんか? お手伝いします。

そう言うと、

「自分のこと、わかりたいです」と、声が生きた。

扉が開いたような気がした。自分を探す旅がはじまった。 

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