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50からのはじまりと終わり

  • 50というのは何の数字

  • はじまりの意味

  • 終わりの欲求と抵抗

  • 私の場合

年齢の話をします。
となると、50ってそう、50歳ってことなのです。
お若いみなさんならまだ想像できないでしょう。
お父さんお母さんのことを参考にする人もいるかもしれません。
または、もうそろそろって人は頭のどこかにある50歳のイメージは
セピア色に染まる人生の下坂のような雰囲気が浮かぶのかもしれませんね。

年齢はひとつの判断基準になるのですが、あえて「歳」をいれず、50って言っています。そのほうがシンプルに「人生のちょうど半分地点にきた」って感覚がするからです。半分。いい響き。完成までやっと半分、まだ半分、そしてもう半分。可能性が湧いてくるじゃないですか!(苦笑)そうやって、50歳っていうだけで「そこそこでいいや」って考えてあれをしようこれをしようと考えるのを手放す人があまりに多いから、手放すのは「歳」だけでいいのではと思います。

半分までにやるべきことがたくさんあったはずです。勉強して、習慣をつけて、人として自立、自律するまでのいろんな知識とスキルを身につけつつ、自分の能力を高めようとじりじりと努力したりもする。情動的な恋愛をしたり、無謀なチャレンジで痛い目をみたりして、自分の軌道修正を重ねて、大人になっていく。結婚をしたり子どもが生まれたりする人もいれば、別れてひとりの人生を行くと決めた人もいる。仕事にひたすら邁進したり、好きなことをひたすら極めたり、社会の一員として納税をして役割を果たして、ときには理不尽なこともあったりしつつも、それをバネにしたりもできる。子育てや仕事をひとつやり遂げた!と思ったら、いつのまにか50。そういうのが人生の前半です。やるべきことをやって、ひとつできた!があるとつぎまたやるべきことががたくさんあって、めちゃくちゃ高速走行だったはず。みんな同じスタート地点にいたはずなのに、長距離走によくある「だれが先頭で誰がビリかわからない」そんなトラックになっているのが50です。どこがはじまりなん?ってなるのが50です。だから、1番もビリもない。それが50なのです。

人生にノルマがあるとしたら、ほぼそれを50までに終えてしまえるのです。生殖、納税、家族維持、社会の役割・・・。気力体力のある20代30代で思う存分発揮しているのですね。じつは、人の歴史からすると100年という寿命は歴史上初めての快挙。多くは妊娠中か幼少期に病気やけがで命を落としていたので、たしかに江戸時代に90歳までお元気って長寿の人もたまにいたけれど、江戸時代なら40代、昭和の戦後で50歳とか55歳が平均寿命といわれているのです。そんななか、100年生きられるってすごいなとシンプルに思いませんか。なのに、50という半分で人としてやるべきことのほぼすべてが終わってしまうのです。完了。お疲れ様って感じです。気力体力が違うモードになってあと50年、あるよって話です。

人生のノルマを楽しめる人もいるのですが、なかには苦しんだりへとへとになったりいやいややってきたって人もいます。これ、もういい?そろそろ終わりたいんだけど・・・と思い始めます。これが終わりの欲求です。気力なのか体力なのか、ガス欠状態で黄色信号です。早く給油を、なのですが、タンクそのものがポンコツになったりしてオイル漏れしたりなんかして、単純においしいものを食べたからって元気満タンにはならないのが悲しいところ。だから、終わりたいのです。終わりたい!切に思う・・・けれど、終われない。終われないことに今度は苦しむのです。

いやいやいやいや。。。簡単でしょ。
自分で「はいここまでよ」ってやればいいだけだし。

それがね、そうもいかないのです。終わったところでつぎにどうすればいいのかわからない。あと50年という後半期の人生設計がない。朝、どう起きて、昼をどうすごして、夜には何を思えばよいのやら。周りにはともにがんばってきた仕事仲間や家族がいたのに気づけばひとりぼっち。テレビはクイズやワイドショーでつまらないし、気づけば口角がさがり、下腹部のぜいにくもついて、頭は白髪か薄毛かになってしまって。しかも、健康も気になるので、健康診断に行くべきかどうか。知り合いはがんになったり、要介護になったりってのを聞くと、明日は我が身かと余計にどうしたらいいか、途方に暮れる。そして、いちばん終われない・終わりたくない・終わりが怖いという命のカウントダウンがはっきりしないこともあって、なかなか手放せないでいるのです。かといって、自分からリセットするほど悲壮な雰囲気でもないし。だれかがつくった生き方っていう道を、たくさんの人と同じように生きているだけでよかったのに、いきなりひとりの船出となって失敗したくないしかっこわるいのもいやだし、だれかお手本見せてって戸惑いに手足がすくむ。この感覚は50独特です。きっと、年長者も、若い人も、わからないのではないかと。

私の場合。ちょうど生物年齢として56歳になりました。家族も仕事も終わるってことを早め早めに経験してきました。一見、忍耐力がないとか継続力がないとかって人にも見えますね。けれど、終わると次が始まりやすいってことに気づきました。終わり慣れているので始め慣れている。幸い、失敗し慣れてもいる。お手本なくてもなんだか手探りで始め、いいか悪いかを感覚で理解する。幸い、運がよかった。人にも恵まれた。いやな人もたくさんいたけれどそのおかげで今、こうしていられることを考えると全力で感謝です。あと50をかっこよく、美しく、清々しく過ごしていく新しい生き方を歩いています。

だから、こんな私のような人がまだまだきっとたくさんいるはずなので、その人たちからの知恵をもらいつつ、これからの50のために、役に立つ発信をしていきたいと考えています。




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