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大学受験前の息子が不登校になった時の話

2年前の今頃、わたしは悩んでいた。

高3で大学受験を目前にした息子が不登校になったのだ。

そして、先生からこうも言われた。

「このままでは体育の単位が足りなくて、卒業できない可能性もあります。」
他の教科は1・2年生の時の貯金があるので単位は足りているが、体育だけは残りほぼ出席しないと危ないということだった。

3年生になってからの体育は1限目にあった。満員電車が苦手な息子は1限目に遅刻していくことがちょちょいありその負債がたまってしまっていたのだった。
おまけに、登校しているにもかかわらず体育を無断欠席したことがあることも問題視されていた。

学校に行かない、行っても授業をぶっちする息子の理由はこうだった。
「夏休み中は自分で計画を立てて受験勉強に打ち込めていたけれど、学校が始まってからは通学や受験に関係ない授業に時間を取られて思うように勉強ができない。」

なるほど、合理的な息子らしい理由だった。

受験勉強は一生懸命やっていたので、それが本心なのだろうなと思った。

でも、先生が心配してくれていたことは、卒業できなかもしれないということのほかにもう一つあった。

「こういう場合、そのままひきこもりになってしまうこともある。」

先生は1年・3年と担任を受けもってくれていて、息子の性格もよく分かってくれていた。

「今どきの子はなんでも言うこと聞いて波風立てない子が多いけれど、彼は刃向かってくる。そんなところが好きです。かまってちゃんだしね。」
と、自分の考えはしっかり持っているんだけど、斜に構えたところがあり、気むずかしく、生き方べたで、先生の言葉を借りると「入学の時から異質な雰囲気をはなっていた」息子を、愛情を持って見てくださっていた。

2年間息子の性格をよくわかって向き合い続けてくれている先生が「ひきこもりになるかも」と心配してくれる気持ちはとてもよく理解できた。

そういう気質が息子には実際にあったと思う。

でも、この時は、わたしは「ひきこもりになるかも」という心配はひとつもしていなかった。

なぜなら、学校へは行かないけれど、息子は家庭ではよくしゃべり、よく食べ、よく寝ていたからだった。この3つができていれば「大丈夫」。そんな確信に満ちた思いがあったので、先生にもそうお伝えした。

でも、やっぱり学校へ行かないというのはわたしにとって困りごとだった。

「なぜ、わたしはこんなにも息子に学校へ言って欲しいのだ???」それを自問自答しているとわたしのなかにあるエゴが見えてきた。

「普通に学校に通って、受験できる子でいてほしい。高校留年、中卒の子をもつ母になりたくない。だめ母のレッテルをはられたくない。」

わたしは息子の将来を心配するふりをして、自分の体裁を気にしていたのだった。これが本心だった。息子が小さい頃から「みんな違ってみんないい」なんて言いながら、心の底では「みんなと一緒」をわたしは求めていた。

で、息子にこの本心を打ち明けてみた。

すると息子は「そんなこと思ってたの!?大丈夫だよ。」とクスッと笑った。

お互いに心が軽くなった瞬間だったと思う。

それからは息子もわたしも明るくなった。

学校へは相変わらずほとんど行かずだったけれど、わたしは無意味に行かせようとしなくなった。息子も、行かないことで生まれてくる親に対する罪悪感で苦しまなくなったように思う。

「大学は行きたい。だから、高校は卒業したい。」その思いは確認したので、「毎日行けなくなっていい。どんなにぎりぎりであれ高校を卒業できるよう、大学受験する権利を得られるようサポートする。そして、息子の元気を保つ」とわたしは目標設定した。

担任の先生も、「こんなこと本当は言っちゃいけないんだけど、息子さんは学校へは最低限来て、あとは来なくてもいいです。でも、毎日学校へ来てがんばって受験勉強もしている子もいるから、遅刻してきたり、学校にこない息子さんのことはみんなの前では叱ります。わたしは教師ですから。そうしないとまじめに来ている子にしめしがつきませんから。お母さんは怒らず、息子さんの受け皿になってあげてください。」そんな風に言って、でこぼこで不器用なわたしたち親子をサポートし続けて下さった。とてもとてもありがたかった。

うちでは、よくしゃべり、よく食べ、よく寝て、元気を保ち続けられることに注力した。息子の話に耳を傾け、おいしい料理を作り、あたたかで清潔な寝床を整えた。

元気があればなんでもできるのだから。

大学受験できるのも、大学へ行けるのも元気があればこそ。

「元気以外のものは人生においてすべておまけだ」そんな心境になっていた。

そして、センター試験の1週間前にようやく卒業が確定した。

とてもうれしかった。

心身健康で、高校卒業ができていれば、大学受験は来年だってチャレンジできる。
ひとまず、息子が望むスタートラインに立てた喜びでいっぱいだった。

本人も親も浪人を見据えていた。

ところがうれしい誤算。息子は志望校にも合格することができた。

一般的な「合格体験記」とはかけ離れた形だけれど、息子は息子なりの方法で夢を叶えた。

人になんて思われたっていい。

自分は自分の形で。

そんな強さを見せてもらった気がした。

☆☆☆☆☆

思えばわたしは息子が生まれてからというものの、ずっと彼のことを心配してきた。小さいときから「ちょっと変わった子」だったから。「普通」でいてほしかった。でも、「普通」にはならないから、「みんな違ってみんないい」と自分に言い聞かせて耐えていた。「みんな違ってみんないい」は、「普通じゃないこと」に対して自分を守るための鎧の言葉だった。普通じゃないことへ孤独を感じている自分への慰めだった。

そんなわたしの気持ちに、息子は本能的に気づいていたのかも知れない。

そんなわたしの心のあり方が息子の生きづらさを生み出していたのかも知れない。

わたしのエゴ・本音を息子に打ち明けたことで、息子の心もわたしの心も解放された気がする。

「子どもはお母さんを幸せにするために生まれてくる」なんて話を聞いたことがあるが、息子はようやくこのミッションから解放されたのではないかと感じた。

わたしはようやくありのままの息子を受け入れられた気がした。

そして、ありのままの自分のことも。

でこぼこでも不器用でも、息子もわたしも大丈夫。

そのことを教えてくれた息子にとても感謝している。

相変わらずでこぼこで不器用なところは変わらないけれど

大学生になった息子は、穏やかで楽しそうだ。




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