海軍中将として活躍し、生き永らえられた方とその家族の苦しみを聞いて
先日、とある機会で今まで考えたことのない視点のお話をお伺いしました。
第海軍中将の娘さんからお話をお伺いしました。
海軍で活躍され、高い役職につき海軍中将まで昇進された方だったそうです。
敗戦後は、毎日自室で日々を20年以上過ごされ、戦争や軍については一言も話さず亡くなられたそうです。
娘さんは、父であるその海軍中将たちが特攻等の指示を出す際に使っていた場所を見て、
「こんな安全で守られていた場所から、あんな無残な行動を指示していたのか。」
「一言も戦争や軍について話さず、卑怯なのではないか。」
とお父様が亡くなられ時間がたった今でも、よく考えてしまうとおっしゃっていました。
戦争で亡くなられた戦没者のお話や、遺族の話を聞くたびに、お父様に責任があるのではないか。
「いっそのこと、戦死してくれたら良かったのに」
とおっしゃっていました。
戦没者や遺族の方々のお話を聞くことは多くありましたが、
軍の中でも指示をする側だった方々の苦しみや、その家族の苦しみというものを初めて考える機会をいただくことが出来ました。
その方は、「お父様への愛」が大きく、長い時間苦しまれていることを目の当たりに数十年されたことなどは想像しても仕切れません。
様々な立場の、全身全霊で生きられていた先人の方々へ日々感謝をし、日々を生きて生きたいと思います。
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(台湾へ日本統治時代を生きられた方々にお話を聞くためにワーホリ中)
レールに乗った人生見つめ直して、台湾で自分も対峙する時間を増やしてます。 人間として、なりたい姿に近づけるよう日々思ったことを書きます。