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身近な子どもたちの行動や言葉から歩む方向を学んだこと  

どうしてこんなことが起こるのかと不思議に思うネガティブニュースの数々。教え教えられ、学び合い、共に育つ意識があれば起こりようのない出来事ばかり。

幼稚園も小学校も、中学校も
児童生徒よりはるかに年齢が高い大人が教えている現場である。
教えてやっている感に捉われると横柄な態度になっていることがある。

教え学び育てるという教育現場において、
学びをどう捉えるかで仕事に向かう心構えは大きく異なってくる。

それができるには、真摯に向き合うことに尽きる。
子どもに対しても大人に対しても。

教育書は鵜呑みにせず、自分で考えることの大切さを知る

教師生活1年目のある日、
校区の知人とお茶をしていた時
「まる子さんて、ヒステリックなの?」言われてびっくりした。

思いもよらぬことなので理由を聞くと
「しょっちゅう子どもを叱って家庭に連絡してくるって噂よ」

えーっ  びっくり仰天

ヒステリックに叱った覚えはないけれど、思い当たることはあった。

4年生担任、多動でいたずら好きの子がいて声や着席などのことで注意の多い子がいた。どうすればいいのか同僚に聞いても、これという解決策が見当たらない。

教育書で調べてみたところ
「子どもの行動で注意が多い場合は、子どもが学校生活のことで心を痛めないように保護者のからの励ましの言葉かけもいただけるように連絡して協力しあうことが大切です」と、書かれていた。

私は、その通り実行した。家庭と協力をしあっていると信じ込んでいた。

小学生の子を持つ知人は「それは、だめよ。そんなに連絡しては誤解されるでしょ。親も悩むでしょ」と言った。

びっくり、仰天!私は知った!初めて気づいた。
教育書の言葉や事例が場合によってはベストばかりではないことを!

自分の思慮のなさを反省するとともに、書物は参考にするが自分の考えを持つことの大切さを思い知らされた。苦い思い出の一つとなった。

次の2年目は1年生担任となり、ベテラン担任揃いの4学級の中のひとりに入りあたふたした。3年目は持ち上がりの2年生担任になり、努力のかいあり指導方法を否定はされていなかったと安心した。まわりの同僚の協力あってこそだが、どこまで私が理解できていたかはわからない。同僚からも子どもたちからも学びがあり過ぎるほどあったが、20代は、そんなこんなで本当に必死であったことだけは確か。


子どもの目線で接するコミュニケーションの大切さを知る

30代は、
家庭と仕事の両立でたいへんだったが、わが子二人の子育てと共に過ぎた。
産休も含み、担任は高学年よりも低中学年が多かったため、わが子目線に近く、学級担任としては楽しかったし、気持ちを通じ合わせる面でも楽しかった。我が子が見るTV番組は、学校の子どもたちも好きで大いに役立った。

小学校は6年という年齢・成長の差があるので服装も言葉遣いも低学年と高学年では幅がある。指導者、教師の年齢が高くなっていくほど、児童の心と体の成長目線に合わせていくことの大切さを痛感した。

40代、50代はなお更に、
その時々の学年に合わせた話題を意識して取り入れた。子どもの生活体験と話題が教師とかけ離れ過ぎていては学級運営は難しい。子どもの目線で接し、若い親子をあたたかく見守る姿勢が必須。


「私のおばあちゃん優しいんだよ」からの学び

地域探検で校区をめぐっていたとき、
「ここ、おばあちゃんの家だよ。わたしのおばあちゃんね、優しいんだよ」と、教えてもらった。

ドキッとして、わが身を振り返った。maruko40代半ばの時。

たしか、この子のおばあちゃんは学校ボランティアでご挨拶をしてくださった方、50代前半ぐらいの方。

子どもから見れば、私もこの子のおばあちゃんもかわらない年齢だ。
だが、イメージは大きく違うに違いない。

考えた。考えさせられた。
年相応な接し方や指導ができる教師になりたい!

決めた! 
子育てがひと段落したら学び直ししたいと考えていた心理学を始めよう。

この1年後から
土日はカウンセリングスクールの学びに費やした。
幸い我が子達も高校生となり部活に明け暮れていた。
心理カウンセラー認定取得、
産業カウンセラー資格取得(この頃は国家資格だった)
学校相談学会に所属し、教育相談ついても学んだ。

忙しかったけれど学ぶこと、知ることは楽しかった。
「私のおばあちゃん、優しいんだよ」の一言を聞いていなかったら、忙しい中でこんなスケジュールこなせなかったかもしれない。
あの時のあの子に感謝!



いつでも、どこでも、真似をされてもいいように

ある年の懇談会で
「先生の真似を家でするのです。たのしいですよ。そっくり!」と、1年生のお母さんがおっしゃった。

しかも、二人も!

「教室のこと、先生のこと、ぜんぶ教えてくれるのよ、おもしろいんだから」と、けらけら笑う。

「もう、先生に見せてあげたいくらい」と、また楽しそうに!

学校では、おとなしい子、静かな子・・・家ではこんなに楽しそうに伝えてくれていたんだあ!とうれしくなる。

と、
待て待て、待て、よくよく考えて!まる子先生!
あなたは見られている! 子どもたちを見ているつもりでしょうが、実は子どもたちに見られている!

と、やっと気づく。

ぎょっ!

それから退職するまで。
だれからも真似をされてもいいように言葉遣いに気を付けた。注意をするときの言葉遣いも行動も工夫した。お手本にしてもらってもいいように。

と、言うときれいに聞こえるが・・なかなか口癖はつい出る。
ギャッ、真似されている! ことの連続。

優しい言葉かけを真似をされているときは、しめしめと思ったりもしたが、お手本になるには本当に難しい。

高学年を持ったある時は「あら、」「あら、あら!」と言っていたらしい。
事あるときに「あらら!」とか言って私の先を越して、にんまりされた。
みんなで大笑いした。楽しかったな。あのクラス!

先生は大勢の子どもたちや保護者に見られている職業という認識が大切だと思います。



「幼稚園のとき、バカっていわれた」から教えられたこと

さっきまで、仲良くあそんでいたAくんとBくん、3年生。
急に手が出る足が出るのけんかになったんだって

担任の先生、ギブアップ。まったく、理由がわからない。

わかっていることは、
Aくん曰く「Bくんにバカっていわれたから」だって。
Bくん曰く「最初にAくんがバカって言ったから、ぼくも言ったら
      急に怒り出した」んだって

それに、Aくんが最初にバカって言ったのは、その通りだそうだ。
でも、AくんはBくんにバカっていわれたのは許せないらしい。

もう、わけわからない。

時系列に遊んでいた時の様子を書き出してみた。
それで、わかったことは

Aくん:
幼稚園のときBくんとけんかして、バカと言われたことがあった。
ぼくは「ごめんね」と言ったのにBくんは「ごめんね」と謝ってくれなかった。

Bくん
ぼくは、ぜんぜん覚えていない。そんなことあったのかなあ。

今、3年生なのに幼稚園の時のこと?と驚くことなかれ!
時々、出会います。こういうこと。

事の真相がわかったところで、お互い何を「ごめんね」といえばいいか話し合いました。

Bくんは、「幼稚園の時、バカといったことは覚えていなくて、Aくんがまだ気にしていることも気づいていなかったので、ごめんね」

Aくんは、「今日、ふざけてBくんに先にバカと言ったことはごめんね」


こだわりを持つ子の中には、解決されていないことが何かをきっかけにフラッシュバックしてくることがあります。解決しておくことは大切ですが、数年前の出来事も丁寧に話を聞いて解決できると、そこでおしまいになります。AくんとBくんも次の休み時間、また一緒に遊びに行きました。
もう、大丈夫だから!だってさ。

担任の先生が授業で時間がとれないとき、このように「help!」と頼める人がいるといいですよね。


marukoの独り言

子どもたちやお母さんたちから学んだことは、まだまだいっぱいありますよ。でも、今回はここまで。

私のつたない記事を読んでくださっている方に感謝しています。
本当にありがとうございます。来年もゆるゆるがんばる!

次回は 1月4日(水)




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