老害
『高齢者は老害になる前に集団自決、集団切腹でもしたらどうか』と言い放った、成田某なるアメリカの名門大の偉い先生がいらっしゃるそうな。えらい自己中でしかも直球のヤツがいるなぁなどと驚いている場合ではない。こんな意見に同調する人が増えていくのか? それが我が国の将来なのか? と思うと、絶望的な気持ちになる。
この暴言(だと私は思った)は、愛読紙である産経新聞のコラムで知ったのだが、記事としては歌手のさだまさしさんの寄稿である。そしてさださんご本人も この社会的地位もあるであろう最高学府の教育者に対し、無礼な莫迦(ばか)だと文中で断じている。以下、掲載されたさだまさしさんの寄稿全文である。
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【《無礼》の時代】 産経新聞 コラム より
高齢者は老害になる前に集団自決、集団切腹でもしたらどうか」と言い放った若い先生がある。
若者にとっては老害が一番迷惑だという主張は一理あるようでもこれは言い過ぎ。口が滑ったのだと信じたいが、老人にとって若い無知の『若害」は大迷惑なもの。どうぞあなたが教えているらしいアメリカの大学でも同じ発言をしてご覧なさい。それから、あなたが高齢者になったら率先して是非そうなさい、と申し上げておく。
無礼な言葉だが、この手の人の無礼は治るまい。頭の良い人が陥る「自分は正しい」という幼い罠に嵌まったようだ。自信満々の時は自分の言葉が誰かを傷つけているかもしれないという慮りを失う。正しい意見に傷つく方が悪いということか。だから老人から見たらこの種の発言は教養のない莫迦(ばか)に見える。ここで言う教養とは知識を上手に応用する心の力量のことだ。当然乍ら学歴や知識量でその人の心の高さを測ることなど決して出来ない。その地位でもだ。
「礼」の意味は「うやまうこと」だそうだ。しかし礼儀や言葉遣いは規則でもないから伝えるのがとても難しい。歳を取ればその経験から、ある程度の分別がつきそうなものだが、それをちゃんと伝えないで無駄に歳を取らせた先達が悪いと言われるのならば確かに老人が悪い。だが人を敬うとはどういうことか伝えようにも相手が耳をしてくれない時代だから埒が開かない。
それにしても「無礼な時代」になった。他人に対する言葉遣いが悲惨だ。テレビのバラエティーは勿論のこと、国会でさえその言葉遣いにがっかりする。言葉遣いは心遣いなのだがなぁ。昔は丁寧語、尊敬語、謙譲語など年長者や目上の人や他人への言葉造いには厳しかったものだが、今は「年長者」「目上」というだけでハラスメントとされる心の狭い時代。「礼」を知らないからそれが無礼であることに気づかないのだ。
この春「さだまさしの詩集」のようなものを無断で出した出版社がある。詞の原作者本人に一言の相談も通告もなく、許諾も得ない本が商売になるとは驚いた。出版した人はこれを無礼だとは感じなかったのだろう。しかも歌の題名にも歌詞にも誤字がある。余りのことに驚き、売るのをやめてくれと頼んでいる所。「言ったもん勝ち」や「やったもん勝ち」は承服できない。これにどう対応するか考えている所なので、決着したらお伝えする。
次第に日本人の心の質が変わってゆく。いつかやがて「無礼」という言葉の意味さえ分からなくなる日が来るのだろうと思う。だがその日まで生きないで済む老人で良かったよ。あ、すまないが自決する気は無い。 2024/6/9
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もしかするとこの大学の先生は、生まれてこの方 たしなめられることなどない 王子様のようにチヤホヤされて育てられたか、あるいは現在の職場には よっぽどイヤらしく腹立たしい年寄りばかりが自分の周囲を取り巻いているか のいずれかではないかと邪推する。なんとなれば そんなことでもなければ冒頭に紹介したような独善的な言葉は発せられないと考えるが 如何だろうか。
老害を起こすのは老人に違いないが、この記事を見て私は 老人の定義とはなんなのかを考えた。どうであればその人は『老人』なのか。見た目か? 実年齢か? 体力か? 考え方か? はたまた頭の回転の速さか? いずれにしても62歳の私は まもなくそのミステリアスな老いの世界に身をゆだねることになるのだろう。
いや、もう片足どころか全身どっぷり浸かっていて、周囲に『害』を及ぼしているのかもしれない。
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