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見えないから意識しないと失われる「時間」の事

「タイムイズマネー」
「時は金なり」

誰でも一度や二度ならず聞いたことがあることわざだろう。

「時間」について子供の頃はあまり意識して考えた事がなかった。
だけど、体感としてあるのは
楽しい事はあっという間に時間が進み、嫌なことはなかなか時間が進まないという事。

最近思う事は、人は皆、無意識に、そして悪気もなく、誰かの大事な「時間」を奪ってしまっている事が往々にしてあるのではないだろうか。

誰かにわたしの「時間」を奪われた、、、は大げさかもしれないが
それは、うっかり出てしまった電話勧誘の見知らぬ他人だったり
相手の都合も考えないで突撃訪問する、ちょっとした知り合い程度の人だったり。
そういう事の積み重ねが、本当に嫌だ。
融通が利かないやつみたいだけど、そんな厳密な事じゃなく、日々の積み重ねでストレスになる事がおおい。

前にこんな事があった。

それほど親しい訳ではない、知り合い程度の人が、全く何の連絡もなしに急にやってきて
「ちょっと頼みたいことがある」
「話があるんだけど」等と言ってくる。
いつでも家が急な訪問客に対応できるようにしているお家もあるのだろうが、我が家はそうではない。
居間は猫もウロウロ、寒い季節なんかはそこらへんにタオルケットやら、ジャンパーやら脱ぎ散らかした後もあり。。。
ズボラなお前たちが悪いんだろと言われれば、それまでだが、、、、。

部屋も散らかってるし、何より心の準備もできていないのに
向こうは「いいからいいから、かまわないで」の常套句。気を遣っているかに見せかけて、こっちの都合、意思まるっきり無視の訪問。こっちは「よくない」のですけど。

こちらだって、どんな客であれ迎えるのであれば、部屋もそれなりにきちんとしていたいし、格好も一応ちょっとは気を遣う。
そっちは外向きのある意味攻めの空気をまとって、やってきても、こっちは服もヨレヨレ、髪もボサボサ。。。。いや、家にいてもきちんとしろよと言われればそれまでだが(私が悪いのか)家にいる時くらい、自分の好きに生きて何が悪い(逆切れる)

なにがそんなに腹立たしいのか考えると、どこかで「この人たちは、家にいるんだからどうせ時間があるのでしょう」というのと「こちらの貴重な仕事の時間にワザワザ来てるのだから協力するのが当たり前でしょう」という、口では決して言わないけれど、そう思ってなければ出来ないことを当たり前にされているから。
なにより、貴重なのは「働く自分の時間」であり「ただ家にいる人の時間」を明らかに下にみている。
たぶんそんな事は考えてる「つもり」は無いのだろうし、ちょっとした知り合いだから、突然来たのだろう。でも、無意識にでもそう思ってなければ、できない事をしているのだ。

ところが
不思議な事に同じように突然来る人でも、まったく「時間を奪われた」と感じさせない人もいる。
これはなぜか。
多分、その人の態度、過ごす時間が心地よいと感じるからだろう。
心地よい・・・までは行かなくても、自分にとってプラスになる事、良いことであるのも影響するし、なによりそう感じさせる人は、必ずこちらの「時間」に配慮する。
「忙しい時にごめんなさい」
「突然来て申し訳ない」
「貴重な時間をつかわせて・・・」
言葉ひとつでも、その言葉が本心かは分かる。

ようは、自分の「時間」の扱われ方ひとつで、大分人の印象は変わるものだ。

そういう私も、無意識に誰かの貴重な時間を奪ってないだろうか?

目に見えないだけに、「時間」との付き合いは時に難しい。
子供の頃のように、ひとつの出来事で早く過ぎる事や遅く過ぎる事と感じる事が少なくなったように思う。
もう、一日単位、一週間単位、下手すると年単位で時間は進む速度をあげている。

だから「時間」を、ますます大切にしないといけないし、誰かの貴重な「時間」も奪ってはいけない。


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