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小説)憧れに誘われて(1)

12歳の夏、人生で初めて、天才に出会った。その場から動けなくなるほどの衝撃と動揺、それ以上の興奮。そして、この日から私の人生は変化していった。

天才に出会う、十五時間前。
「明日こそスケボーの、体験会にいくって約束したじゃん!!」
夕食を囲むテーブルで、お母さんに嘆く12歳の私。
「そうなんだけど・・・お姉ちゃんにもなこちゃんの見学もきてほしいなって思って」
妹のなこと笑顔で目を合わせたあと、お母さんは眉毛を下げて私をみた。
「そんなの、私だって・・・。」
床に放られたスケートボード雑誌の表紙を見つめて、肩を落とす。

言葉にできなくて俯くと、4歳下のなこは私のTシャツの裾を引っ張って、
「お姉ちゃんも絵画教室行こーーー?」っと首を傾げて笑った。

わかってる。私がなんでもできて、妹のなこがどんくさいところがあることも。そして、感じてる。私に足りない愛嬌をナコが持っていて、その愛嬌は時に何よりも強いことを。

「なこがいうなら、しょうがないか。」と呟いて顔を上げると、なこはガッツポーズしてお母さんに抱きついた。すると、先程まで眉毛が下がっていたお母さんは微笑んで、頷いた。
ああ、わたしも結局、なこによわいのだ。

なこはいま、絵に夢中だった。私と違って運動も勉強も、いまいちでいくら教えても眠そうだった。ただ、絵を描くときは集中して、何よりも楽しそうだった。そんななこに学校の先生から絵画教室を勧められた母は、なこにも得意なことがあったと、嬉しそうに私に話した。なこは愛嬌があるだけですごいのに、と思いながらもそれを口にしたらまた私が愛嬌がないやつと思われそうだったから、やめた。

翌日は土砂降りの雨だった。
正直この天気で行くのか、と私と母は怯んだが、なこはお気に入りの七色の傘をもって玄関で朝からそわそわするので、意を決して出発した。

バスに揺られて30分ほどの、森の中にある絵画教室。入口は草木が伸びていて、こんなところに通う人がいるのか、と思うくらい怪しい、でもおおきな建物だった。

中に入ると卓郎先生というもじゃもじゃの髪形の細身なおじさんが、私たちを出迎えた。卓郎先生は私たち3人を案内しながら、廃校になった学校の一階を使用していることを話してくれた。通っている人たちが理科室や、調理室であったであろう広い部屋をアトリエとして使い、交流する、絵に集中できる十分な環境だとゆっくりと、ほほえみながら、話した。

職員室の看板のある部屋に通された私たちはそこでやっと椅子に座った。

卓郎先生は、お母さんとなこのことを話すと、なこに正方形のキャンバスと、筆を渡して、向こうを指差してあの絵の具を使って好きに描いて、と微笑んだ。
なこは立ち上がって、指の刺されたたくさんの絵の具が積まれた机の上に走った。お母さんはうれしそうになこに駆け寄って、一緒に絵を作り上げようとしていた。

お母さんやなこが絵を描き始める姿を横目に、つまんなそうに立ち上がって、窓から外を見つめていると、卓郎先生が私に近づいてくる。丸椅子を引きずりながら持ってきて、目の前に座った。驚く私に、前のめりになって言った。

「・・・それで、お姉ちゃんは絵を描けるの?」と。
わたしはその質問に若干カチンときた。

「絵なんか、書けるに決まってる。この間も、町の美術展に飾られて、先生に褒められたし。なこよりも、かけると思うけど」

なこを指さして、ぶっきらぼうに言った。それだけじゃ、不十分だと思いすぐそばの床に落ちていた、紙と鉛筆で先生の似顔絵をなんとなく書いて手渡した。なんとなく書いたわりに、なかなかの出来だったと思った。

先生は渡された絵を受け取って、少し視線を落としたあと、じっと私をみて言った。

「君は自分が天才だと思う?」

左手で頬杖をつきながら、怪訝そうに。私はまた、失敗したかなと思った。また、可愛げのないことを言ったと。でも、その回答を、しないわけにも、正直に答えないのも違う。私は少し息を長く吐いて、

「天才かはわからないけれど、大抵のことは、他の人より、出来る」と小さくいった。

すると、立ち上がって

「ついてきて。」私の左手を掴み、歩き出して、叫んだ。

「お母さん、お姉ちゃん借ります!」

先生はグングンと廊下を進んでいく。

さっきの答えが正解か、不正解かはわからなくて、進む歩幅と不安が比例していく。

突き当たりの階段を駆け上がる時に左手を離された。
階段横の壁に書かれた二階以上立ち入り禁止の記載に少し怯む。

いま思えば、ここが最後の引き返すタイミング、だったと思う。

早く、と急かす先生の声に、私はうなづいて、登った。
窓の外ではまだ強い雨が降っていて、雷も鳴り始めている。薄暗い二階の廊下は電気がついておらず気味が悪かった。

廊下を進んで二つ教室を過ぎたあと、三つ目の部屋の扉を、先生が引く。

先生は動かないので、私は部屋に足を踏み入れて、中を見渡した。

誰もいない。
ただ、部屋の壁、床、天井、窓全てがいろんな「青色」で埋め尽くされていた。
異空間に入ったような感覚になる。ただ真ん中に置かれた椅子と机を目立たせるために作られたような、部屋。

目に見えて、信じられる物体は机と椅子だけだ。それ以外は青。いろんな濃淡でうごめく、青。圧倒されて私は椅子の前で、腰を抜かしてしまった。

「勝手に入るなんて、先生らしくないよ。」
振り返ると、扉から一歩も入らない先生に、私と同じ歳くらいの、肩くらいまである髪の男の子が話しかける。

彼の視線は、何も言わない先生から私にうつったけど、何もなかったように、手に持っていたバケツと、はけでまた壁を塗りだした。

「ここは、何?」椅子に腕をかけながら、背を向けて壁を塗る彼に、投げかける。


しばらく沈黙が続いた。
その間も私はずっとこの部屋の青に夢中で、目が離せなかった。どの場所をみても違う青が、私を囲んでいた。
ただ、時間が経つにつれて、この空間、この絵というものへの閉塞感に、苦しくなった。ようやく立ち上がり、部屋を出ようと扉へ向かって歩き出した時、彼はいった。

「・・・・青が、好きで。それが襲ってくる場所を表現してみたかった。好きなものって溢れると狂気になるんだよ。」

力のない声だった。
振り返ると、何事もなかったように新しい青を塗る彼の横顔があった。彼に、彼の作る青に、また襲われると思った。

この時はもう、ただ恐ろしくて、でも、感動して。
勝手に口から言葉が出ていた。
「あなたみたいな人が、天才だよ」
彼に向かってそういって、部屋を飛び出した。


1階に降りる階段のところで、壁に寄りかかってタバコを吸っていた卓郎先生に鉢合わせた。
気まずくて、走り去ろうとしたとき

「どうだった?」と先生は呟いた。

その言葉で全てを悟った。
先生は、私のなんでも出来るとか、天才だとか勘違いしている奴に本当の天才をみせて笑いたいんだ。
そう思うと、我慢していたのに、目から涙が溢れてくる。手で拭いても拭いても、止まらないし、ヒクヒクと声が漏れる。

「彼みたいな人が、天才なんだって、思って。なんでも出来るって思っていた私、絵もそこそこ描けるって思っていた私、馬鹿みたいで。ダサくて、恥ずかしくて悔しい、、」

キレ気味の私の泣き顔に、先生はタバコの煙を私の顔に吹きかけて笑った。

「・・・わるかった。俺も君とおなじだよ。あいつと会って、自分がちょっと絵が上手いなんて思わなくなった。それを、君と共有したかった、だけなんだ。」

私の頭をポンと叩いて、先生は

「俺の煙で目が赤くなったからって泣くな。」と笑った。

目を擦りながら、

「泣いてないし。」と笑ってかえした。

そのあと、お母さんやなこと合流して、絵画教室を出た。天気は落ち着いて、遠くで聞こえた雷は消え去って、雲の隙間から夕日が漏れている。

少し歩いたところで、なこはこの絵画教室に通うことに決めたと、嬉しそうに絵をみせてきた。
絵が本当に好きな事が伝わる。必死で書いた筆のあと。
なこは私よりもずっと、絵が描ける子だった。

17時の時報が聴こえて、絵画教室に目をやると、
さっきの彼が、2階の窓からこっちを見ていることに気づく。

私と彼の差は、きっと、これからも埋まらないんだろう。
天才と凡人・・・。

彼を見つめていると、お母さんがいう。「椿、どうかした?」
首を横に振って、彼に背中を向けて歩き出す。


この日を境に、私は絵を描くことをやめた。







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