おもい出話。

Youtubeを開くと、ビジネスで成功してるらしい人がスーツで稼ぎ方の話をしている。誰かのブログの脇には「3ヶ月でWEBデザイナー」という広告が至るとこに貼られ、Twitterでは僕の高校時代の友人がマーケティングとコンサルティングの話を投稿している。

いつから、インターネットはこんなに煽ってくるようになったんだろうか。いや、僕がそれらしい年齢になって、それが「煽っている」と認識し始めただけなんだろうか。ニコニコ動画で青春を過ごした身とすれば、ボーカロイドの新曲を聴き、誰かが作ったMAD動画を眺めていた頃が懐かしい。2chや怪しい暗いサイトに気味の悪い小説が書き綴られ、それを夜な夜な怯えて読んでいた頃が懐かしい。きっと、僕の「思い出補正」によってそれらは美化されていて、以前は金儲けの広告なんて目に止まっていなかっただけなのだろう。

インターネットは僕にとって思い出の塊であった。今でこそインターネット上で実際の友人・知人と深く交流があるが、当時は普段の生活からは隔離された別の世界であり、そこに特別なものを感じていた。

初めて自分のパソコンを手にした高校生時代、それはちょうどお盆真っ只中だった。

先にパソコンを手にしていた兄の影響で、僕も自分のパソコンが欲しかった。もともとオタク気質な兄であり、自作のパソコンで延々とネットゲームに勤しんでいるような人だったけれど、僕が要望すればいつでもパソコンを使わせてくれる気のいい人でもあった。小学4年生(1999年)の頃には、兄が僕にネットゲームを教えてくれていた。何年も兄のパソコンを借りてプレイしていたものの、正直自分の好きなようにパソコンを使いたかったし、自分のパソコンを持っていること自体がステータスに感じられていた。それは一つ上の人間である証のように見えたし、友人たちより特別な世界を知っているつもりになれた。インターネットへ接続する事は、未知の冒険へ出かけることだった。

最初の頃は、朝刊に挟まっている家電屋のチラシを眺め、どんなパソコンがいいのだろうと悩む日々だったが、正直パソコンに対する知識がないため、メモリやらCPUやらが何なのか分からず、良いパソコンを選ぶ基準さえもわからない。そこで、兄と同じようにパソコンのパーツを買い揃え、自作パソコンを作る過程でパソコンへの基礎知識を学ぼうと考えた。今思えば妙な発想の飛躍である。若さとはこういうものなのだろうか。早速、近所の本屋(三洋堂書店)で自作PCに関する雑誌を買い、雑誌と睨めっこする日々が続いていた。CPUは当時発売されたばかりの「Core 2 Duo」一択である。2倍の処理速度なんて夢のようだった。自分が最先端のパソコンを組めるなんて、ワクワクしたのを覚えている。

さて、高校2年生の夏休み、僕は毎日辛い部活動に参加していた。いま思い返せば僕は球技の才能に乏しいのだけれど、当時はそんなことに気が付くわけもなく、毎日コーチに怒鳴られ、先輩にも怒られる日々だった。そんな中、お盆休みは夏休みでも部活がない貴重な連休であり、自分のやりたいことをする数少ないチャンスだ。その休みを利用して、都市部にあるPCパーツ屋で自作PC用のパーツ買うことにした。決めたのは、その前日だ。いろんな友人にメールをしたものの、お盆の中日で誰も捕まらず(みんな親戚の集まりに出ていた)、結局一人で行くことになる。今から15年ほど前の話だ。

小さい頃から使わずに貯めていた歴代のお年玉「10万円」を握り、田んぼの中を走る電車を乗り継いで、都市部へ向かう。昼前に出かけたため電車の中がガラガラで、そして都市部も人はそんなにいなかった。みんな帰省してしていたのかもしれない。特にお店を調べていなかったため、中規模ながらも電気街とされる通りを歩き、大きなTSUKUMOに入ってリストに書き出してあったマザーボードやCPU、メモリ(1GB×2)、電源などを購入した。これで動かなかったらどうしよう、という不安はいつも付き纏うものの、ここは行動するしかない。

いくつかのTSUKUMOの紙袋をぶら下げて、田んぼの中をまたガラガラの電車にゆられ、家に帰る。不安ながらも、自分は特別なミッションを行なっているんだという高揚感もあった。近所の電気屋でPCケースやスクリーン、キーボード類、LANケーブル、さらにWindows XPのOSディスク(まだ売ってんのか?)を買う。

どの電子機器も静電気に弱いということだったので、シャツを脱いでパンツ一枚でPC雑誌を読みながら組み立てていった。耐電性?みたいな灰色の袋に入っている電子機器を慎重に取り出して、ソケットのピンを折らないように接続していく。CPUがなぜこんなに高いのかと思いながら、その上に空冷ファンをつけて「これで発熱するCPUを冷やし・・・」とか内心呟いてみる。電源のファンが回りはじめ、マザーボードのLEDが点灯した瞬間は今でも覚えている。読めない英語が並ぶスクリーリーン(BIOSの画面)を見ながら、OSのディスクを読ませて、あの懐かしいXPの柴生の丘と青空の画面が映し出された。ついに、僕もこのXPの画面が見えるなんて・・・(きっと今、XPを開いたら思い出の重圧に押しつぶされて泣きながら嗚咽するだろう)。兄のパソコンより断然ハイスペックである。メモリも2GBも積んでいるし、もうゲームがカクカクすることもないと喜んでいた。今これを書いているパソコンはメモリ8G Bなので、当時とは比べ物にならないが。

自作PCで毎日ニコニコ動画を見て、自転車で世界を旅する人のブログを読み(僕が大学生になって自転車旅にハマったのは、きっとここが原点だろう)、携帯の着うたを自分で作って友達に自慢し、スペイン語の字幕がついた怪しいサイトでアニメ(この当時の字幕は、海外のファンが海賊版的に作ったもので『ファンサブ(ファンによる字幕の意)』と呼ばれていることを後に知る)を見て、初めて楽天で買い物をした。誰かが書いた異世界の建造物みたいな絵やお気に入りの映画のシーンを壁紙にしていた。僕の中でインターネットが一番楽しかった頃だったんだろう。

当時は自分がゲイだとは知らなかったし、いつか誰かと結婚するのかなーとくらいにしか思っていなかった。ラジオでSCOOL OF LOCKを聴きながら、誰かの恋愛を相談を真剣に聞いていたりした。いま思えば、精神的にも平和的な頃でもあったかもしれない。

15年後の今も、もちろんパソコンを触っているけれど、インターネットの趣はすっかり変わっている気がしている。毎日バスりが届くTwitterも、お金の稼ぎ方の広告が並ぶYoutubeもだんだん疲れてきてしまい、僕個人、その中から「降りる」のが必要だと思えている。ちょこちょこと刺激を突っつかれ続けるような毎日がしんどくなってきてしまった。また、バズりと炎上は時に表裏一体であり、流れてくる意見が僕の心をざわつかせる。インターネットの中に冒険へ出かけるような、そんな世界は無くなってしまっただろうか。まぁ、こんな懐古的文章を書く時点で、自分が歳を取ったんだと感じているのだけれど。

次の15年は、どこへいくんだろうか。