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季節が一周した

何も書かないまま半年が過ぎていた。書かなかったというか、書けなかった。シェアハウスに住んている僕にとって、一人でのんびり何かを考える時間が以前よりもほとんどなくなってしまったからだ。もちろん、部屋に籠れば一人だけれど、ドアの向こうではシェアメイトが歩いているし、いつも誰かの気配を感じてしまう。けれど、今日はなんだか心が落ち着いて久しぶりに何かを綴りたくなった。

前にnoteを書いたのが春先であったのに、もう街には雪が降り、一日中氷点下の日も珍しくなくなっている。実に目まぐるしい半年間だった。コロナのために街の飲食店は2か月ほど休業を余儀なくされ(3~5月)、僕らも家の中に閉じこもり、仕事も何回か変わり、マウンテンバイクを漕いだり、湖の上に浮いたり、釣りをしたり、数えきれないほど焚火をして、クライミングをして、何人も友人たちがそれぞれの国に帰り、僕も一か月ほどカナダの西側を旅行した。

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この国に来たのが12月2日であるから、もう少しで一年である。街に降り始めた雪は、季節が一周しつつあることを僕に強く認識させ、スキーシーズンに浮足立つ人々は、すでに僕がこの町に来た時の「それ」を同じになっている。一年を前にして「ワーホリは楽しいか」と聞かれると答えるのが難しい。家を見つけたり、仕事を見つけたり、コロナの補助金のために政府に申請したり、シェアメイトとうまく会話できなかったり、遊びに行ってもうまくなじめなかったり。それでも、英語を覚えて段々友達が増えていくのは面白いし、細かいことはわからないけれど、一緒にロープにつながり岩に登れば感動は同じだし、なにより、思い遣りはどの国の人にっても同じである。また、自分を日本人たらしめているのは何かを強く認識させられる。

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ワーホリ前、将来のいろんなことはワーホリが終わってから考えようと思っていた。家も仕事も無いまま出発した僕には、出国時、なんの予想もできない日々にただ怯えるだけだったけれど、その終わりが近づいていることに、不思議な気持ちになると同時に再び不安に怯えつつもある。海外に1年住んだくらいで、なにかスーパーマンになれるわけでもないのだから。

「もっとはやくワーホリに行っていけばよかった」という話はよく聞く。僕自身は29歳で出国し、この前30歳になった。僕の感覚から言えば、僕は年齢制限ぎりぎりでワーホリに来てよかったと思っている。というのも、20代で経験した多くの事、例えば山スキーやクライミング、楽器、野生動物に関する仕事、日本のへき地で暮らしたことで得た知識など、それらのおかげで英語の表現が拙くても共にアウトドアを楽しんだり、文化ついて議論したりできた。そしてそれらがまた新しい友達をも作ってくれた。

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もう一回カナダの冬を楽しみつつ、もう少し英語の表現を磨いて、夏ごろに日本に帰ろうと思っている。もうだいぶ、日本が恋しいからね。