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父の海外赴任と家族の気持ち①

去年子どもを産んでから、自分が子ども(これが何歳までかという話はあるが)の頃の気持ちを思い出すことが増えた。

先日、海外赴任の打診を受けた方の話を聞いたとき、自分の感情がすごく揺れ動いてしまい、なんと言葉をかけていいか分からなくなってしまった。

父の海外赴任や自分の中学受験の経験について思い返したとき、感情の整理がつかなくなるほど落ち込むことに気がついたので、残しておきたい。
(整理しておかないと自分が子どもを傷つけてしまう気がする。)

この気持ちの問題は、自分と親との関係の中で起こったことであり、自分の中で必ず解決できることだと信じている。

もし、海外赴任の渦中にあって、あるいは経験をしていて辛い気持ちがある方の一助になればと思います。(自助グループ的な感じで)

私が高校生の時、父親の海外赴任が決まった。

母は結婚後15年以上専業主婦、妹は中学生だった。ありがたいことに、私も妹も中学受験組で、そこそこの学校に通わせて貰っていた。
(中学受験エピソードは後々書くとして。)

結局、父は私が高校を卒業するまで単身赴任をし、その後私以外の家族は海外に引っ越した。

当時の自分は余り勉強も得意でなく、できたら国立の大学に行きたかったこともあり、一人日本に残って軽い気持ちで浪人生活を始めた。経済的な援助をしてくれている親に、感謝の気持ちもあった。
(今思うと、偏差値に関わらずなぜ受かったところに行く選択肢を取れなかったのか、と不思議に思う。)

途中まで成績は上向いていたが、途中体調を崩したことをきっかけに、予備校に行けなくなった。

そこからはもう転がるようにどん底に落ちていった。今でも、思い出したくても思い出せない感じがある。

生きていることが苦しかった。早朝に起きて泣きながら一人で走りに行った記憶がある。後は一人で家にいると幻聴が聞こえたり。
(今思うと、もっと親を含めての周りの大人にちゃんと頼ればよかった。ただ、頼る方法が分からなかったんだなと思う。自分の内向的な性格と、子供の頃から「周りに迷惑をかけない」ように育てられたことによる相乗効果で、先生に質問することすら大学に入るまでずっと出来なかった。親のせいではなく、自分がそれを選んできたということだ。)

その年は受かった大学もあったが、満身創痍で、一人で大学に通える状況でなくなっていた。結局海外赴任中の家族と合流し、もう一年浪人して結局そこそこの国立大学に行けることになった。
(親は色々なサポートを本当にしてくれたと思うし、感謝している。大学の勉強は本当に楽しくて、研究は辛いこともあったが論文も幾つか書けた。とは言え自分には辛すぎてカウンセリングに行くようになり、結局研究者になろうとは思わなくなり、技術者として就職した。)

ここまで書いて少し辛くなったので、休む。

今書いていても、両親にはすごく感謝していて、海外赴任について恨んだりしたことも本当に無いなと思う。父も、帯同した家族も大変だっただろう。

そして、自分が、父の海外赴任が決まってから、実はずっと辛かったということに、気がついた。

感謝しかないのに、恵まれていると思っているのに、衣食住で困ったことも無いのに、辛かった気持ちが何故か今になって押し寄せて来る。

具体的に辛かったエピソードが出てくるわけでない。
なんだろう。
毎晩父も明らかに疲れているのに、家族とSkypeしていて毎回母と喧嘩していた気がする。余り思い出せない。思い出そうとすると鼻の奥が痛くなって世界が滲んでくる。
(小学生の頃から、勉強ができていないと家の中の雰囲気が悪かったこととか、どんどん思い出してしまう。)

今までなら、もう高校生だったのだからそんな甘いことを言っていても仕方がないと思っていた。子どもを持って、その気持ちが無視できなくなったのだろうか。

家族というチームでやっていくためには、余裕が必要だ。余裕を作るためには、強くなければいけないと思う。

今日はここまでが限界だ。
また余裕ができたときに続きをまた書きたい。

子どもが大きくなる前に、自分のこの気持ちを受け入れたい。自分の気持ちを受け入れられるステージに、立てたのかも知れないと思う。

自己一致を進めることが、傾聴の基本的態度を身につけるのに必要だと感じている。


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