見出し画像

【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第8話 暗雲編(3)

【義務教育】

1996年。長女が誕生してから5年後に次女が誕生。真に美しい女性になるよう「真美」と名付けられた。

生まれた時からどこか光るものを持ち合わせていた彼女。

笑顔が可愛いという理由で、百日写真を撮ってくださった写真館さんが長きに渡り展示してくれた程である。

 

長きに渡り展示された百日写真(カワッ♡)

その頃より、長女も父親の下で空手を学ぶようになり、フリムン家では極真空手が義務教育の一環となった。

もちろん、次女も例外ではなかった。

才能だけを見れば、フリムン家の中では断トツに次女の方が空手向きであったが、その才能を凌駕する運動能力と根性を長女は持ち合わせていた。

空手を始めた頃の長女

こんな事があった。

まだ長女が2歳の時、フリムンが彼女をドライブに連れていこうと助手席に座らせ、「絶対に動くなよ」と前置きをした上で荷物を取ろうと目を離したその刹那、何と頭からアスファルトにダイブ。

それは父親の「絶対に動くなよ」を子ども心にフリだと勘違いしたが故の体を張ったボケであった。

ただ、当の親父は「ゴンッ」という鈍い音と同時に、辺り一面に響き渡る娘の悲鳴に顔面蒼白。

心臓が止まりそうになるほどパニくったのは言うまでもない。

既にこの頃から、笑いのセンスと頑丈な肉体を持ち合わせていたフリムン家の長女(ある意味…超女w)

これが、その時のスプラッター写真である(笑)

何事も無かったかのようにピース(笑)

こうして、徐々に大物の片鱗を見せ始めた長女。

石垣道場「最強女子軍団」の走りとして、数多くの偉業を成し遂げる遥か以前の話しである。

【最強のランバージャック逝く】

同じく1996年。次女が生まれて1ヵ月後に、あの最強のランバージャックが他界。

実の父親の死を記憶の中に留めていなかったフリムンにとって、身近な親族との別れは初めてに等しかった。

他界する直前、主治医からそろそろですとの報を受け、慌てて病院に駆け付けた親族。

しかし、流石は鍛え抜かれたランバージャックだけあって、それから幾度となく持ち直し、疲労の蓄積した親族は交代で付き添う事にした。

そんな夜の事である。

寝不足によりウトウトしながら寄り添っていた祖母に、付き添いのフリムンと叔父さん達は、「今日はもう大丈夫そうだから家に帰って休んできて」と帰宅するよう促した。

祖母もそれに同意し、自宅で休憩することに。

これが、最後の別れになるとも知らずに。

それから暫く思い出話しに浸っていた親族の目に、慌ただしく動き回る病院スタッフの姿が飛び込んできた。

いよいよお迎えが来たということは直ぐに理解できた。

慌てて祖母に連絡を入れるも、愛する妻の到着を待たず、祖父は静かに息を引き取った。

病院に到着した祖母は、最後まで付き添えなかったことを謝罪しながら号泣。

「ゴメンね…」
「ずっと側に居てあげられなくてゴメンね…」
「はぁ~帰らなければ良かった…」
「寂しい思いさせたね…ゴメンね…」

と祖父を抱きしめながら泣き崩れた。

その姿を見つめながら、祖母がどれだけ祖父のことを愛して止まなかったが手に取るように伝わってきた。

二度の脳梗塞により、長きに渡り車イス生活を余儀なくされた祖父。それでも、誰にも頼らず自宅で介護を続けた祖母。

幼い頃、フリムンは「元気な頃のじいちゃんは凄かったんだよ」と祖母からよく聞かされていたので、祖父のことをどれだけ尊敬していたかは重々承知していた。

ただ、目の前にいる祖母は、尊敬とか感謝とかの感情ではなく、ひとりの女性として祖父のことを心から愛してたんだなとフリムンは感じていた。

祖父が息を引き取り、確かに悲しい気持ちもありはしたが、こんなにも愛され続けてきた祖父が羨ましく、きっと満足のいく人生だったに違いないと清々しささえ感じていた。

「歳を取っても、こんな素敵な夫婦で居られたらいいな♡」

抱き合う二人を見つめながら、フリムンは懐かしいあの頃の祖父母を思い出していた。

理想の夫婦像を見せてくれた祖父母の仲睦まじい写真♡

【置いてけぼり】

祖父の他界後、ようやく落ち着きを取り戻したフリムン。

選手は一旦休止中だったが、同好会を更に大きくし、八重山一の空手道場にする計画をここで頓挫させる訳にはいかなかった。

あの師範と交わした約束は、自らの人生を犠牲にしてでも成し遂げなければならない最優先事項である。

フリムンは会員を増やすため、演武など啓発活動に全力を注いだ。

その甲斐あって、同好会にも才能溢れる若者が次々と押し寄せてきた。

フリムンより年齢的にも若く、どこかギラギラしていた彼らを指導しながら、置いてけぼりを食らっているような気がしてならなかったフリムン。

まだ28歳になったばかりなのに、早くも戦線を離脱。急に吸引力を失ったように感じていた彼は、気が付けば子どものように拗ね始めていた。

時が経つに連れ、それが次第に後輩たちへの嫉妬心へと変貌。心の中にポッカリと穴が開いたような精神状態で日々を送っていた。

彼の人生の中で、この時ほど辛かった時期はないと言える。
まだ何一つとして成し遂げていなかったのだから当然だ。

人一倍“承認欲求”の強かったフリムンは、人目を忍んで地団駄を踏み続けた。

それでも、生徒たちにとっては関係のないこと。

彼らには彼らの夢があり、目標があるのだ。

それを妨げることだけは絶対にしてはならないとフリムンは自らを押し殺した。

次回予告

次回、あの人が初来島!!
乞うご期待!

続きはこちら!


▼「フリムン伝説」の記事をまとめてみました!


この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


▼月刊まーる運営のため、「応援まーる」をいただけると嬉しいです!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?