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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第6話 帰省編(3)

ダダダダ·ダディ

何とかカミさんに許してもらい、空手を再開する事に成功したフリムン。

そんな、空手しか頭になかったフリムンに朗報が届いた。
待ちに待った愛娘とご対面する日が来たのだ。

あの感動の披露宴から4ヶ月後の事であった。

フリムンはより一層稽古に力を入れ、「絶対にこの子が自慢できる父親になって見せる」と心に誓った。

それから新米ダディとしての最初の仕事、『命名』に取り組んだフリムン。

しかし、その仕事は直ぐに片が付いた。

何故なら、フリムンには中学生の頃から決めていたある名前があったからだ。

それは、当時大ヒットしていた甲斐バンドの名曲、「安奈」であった。

将来娘が出来たら、必ずこの名前にすると中学生の頃から決めていたフリムン。

早速その旨を、きっと喜ぶだろうとウキウキしながら祖母に伝えたところ、何故か怪訝そうな表情を浮かべる祖母。

そんな祖母から帰ってきたのは、まさかの言葉であった。

「何この変な名前」
「“あんな”“こんな”みたいでイヤさ」

フリムンは愕然とした。

最初の子に付ける名前は決まっていたが、あくまでも祖母も気に入る名前である事が絶対条件であったからだ。

新米ダディの初仕事は、僅か数秒で頓挫した( ̄▽ ̄;)

悩んだ末にフリムンが思い付いた“第二案”は…「アンリ」。
何とかアンだけは残したかった故の命名であった。

これには祖母も渋々納得した(なんで渋々やねんw)

ちなみに「安奈」の安は、祖母の名前の一文字でもあった。それを祖母が理解していたか否かは、謎のままである。

こうして先行き不安しかない“ダディ業”は何とかスタートを切ったが、おっちょこちょいのフリムンには、まだまだ荷の重い生業であった。

初めての我が子を、二人は目に入れても痛くないほど溺愛した♡

【再集結】

石垣島に「極真空手」の道場を立ち上げる夢を実現させるため、続いてフリムンが計画したのは、高校時代にお世話になったN先生に声を掛ける事であった。

既にN道場は閉めた後であったが、N先生もまだ30代前半であったので、同好会の代表を快く引き受けてくださった。

それから“じゃない方”の叔母が営む保育園で当時の有志を集め、「実戦空手同好会」を発足。

この保育園こそが、今や伝説となっている極真石垣同好会発祥の地、「保育園こどもの家」であった。

こうして再集結した当時のメンバーと稽古する事となったフリムン。

高1の時以来なので、実に10年ぶりの再会であった。

楽しかった。もうメチャクチャ楽しかった。

空手は個人競技だが、一人で稽古するより皆でワイワイやった方が格段に遣り甲斐があった。

もはや団体競技よりも団体競技…それが稽古の魅力であり、1年以上も独りぼっちだったフリムンには、贅沢過ぎる夢の空間であった。

更に稽古後の飲み会も楽しかった。

当時まだ下戸だったフリムンは、自分の夢を熱弁しながら、仲間が居るってこんなにも素晴らしい事なのかと、飲みながらいつも涙(&ゲロ)していた。

しかし、稽古を重ねる内に、フリムンの本気度と他のメンバーの本気度に格差が生じ始めてきた。

フリムンはガチでこの島に極真の道場を立ち上げ、定期的に極真ルールの大会を開催し、島の若者たちのために道を作りたかった。

その思いが余りにも強すぎて、徐々にフリムンの熱量が暴走。

次第に周りが引きだしていった頃、気が付けば仲間を強くなるための実験台と見なすようになっていた。

そう、中学時代の柔道部で繰り広げられていた、あの「実験室」が再現されたのである。

そんな身勝手な奴に人が付いてくる訳がない。

もちろん稽古は常に選手稽古。

基本や型などは度外視し、毎日スパーリングと称した実験が繰り返された。

すると徐々に人数が激減して行き、遂にフリムンは元の独りぼっちとなった。

至極当然の“報い”であった。

Z先生との出会い

当時、剛柔流上地空手道場(現·拳秀館)の館長を務めていたZ先生。

還暦とは思えないビルドアップされた肉体から発せられるオーラはハンパなく、空手に掛ける情熱もパなかった。

「私も極真が好きでね、君のような覇気のある若者を見ると応援したくなるのよw」

その一言で、直ぐにZ先生の事が大好きになったフリムン。

いよいよ独りぼっちとなったフリムンのために、N先生がZ先生を紹介してくれたのであった。

その日から、Z先生の道場で自主トレをさせて頂ける事となったフリムン。

しかもZ先生の粋な計らいにより、無償で道場の一角を使わせて頂く事となった。

スパーの相手こそ居なくなったものの、サンドバッグや筋トレ器具など何でも使い放題。

こうしてフリムンはメキメキと力を付けていった。

ちなみにこのZ先生の勧めで、フリムンはまだ白帯であるにも関わらず「八重山空手道連盟」の一員に加わる事となった。

まだ極真に入門する1年前の事である。   

還暦を迎えていたZ先生の鍛え抜かれた肉体極真的荒行を好んで行っていた

かきだみし

それから暫くすると、フリムンの噂を聞いた腕に覚えのある男たちが道場を訪れ、ちょっとした組手を申し込んでくるようになった。

いわゆる「かきだみし」である。
※沖縄方言で「掛け試し」と書き、「腕試し」という意味で使われている。

中には「お前、組手の相手に困ってんだって?」と上から目線の御仁まで現れた。

狭い島なので、フリムンの噂は直ぐに広まった。

更にその時代はネットもなく、簡単に情報が手に入る時代ではなかったので、自信タップリの腕自慢がゴロゴロ居た。

中には極真の参段や四段を謳う者までいた。

しかし、丁度仲間が道場に姿を見せなくなってきた頃である。

捨てる神あれば拾う神あり…フリムンは心から感謝し、全力でそれに応えた。

ただ、終ぞ本物とは出会えなかった。

その殆どが、態度が大きい割りに口ほどにも無く、それどころかトンでもなく弱かった。

得意の左ミドルと左右の正拳。それを食らっただけで直ぐに戦意喪失する体たらく。

もちろん、極真有段者というのもハッタリであった。

そして、100%の確率で二度と道場に顔を見せなくなった。

フリムンは愕然とした。

「俺、これから一人でどうすりゃいいんだ?」

ただ、フリムンは手応えも感じていた。

相手が誰であろうと、1分以上立たせる事はなかったからだ。逆に気を使って遠慮していたくらいだ。

これまで積み上げてきた“自己流”の稽古は、決して無駄ではなかったのだ。

それでも、この世界で通用するためには、この程度の稽古内容ではダメだとも感じていた。

仕方なくフリムンは、ひたすらにサンドバッグに突き蹴りを打ち込んだ。

来る日も来る日も…たった独りで。

次号予告

突如、"本物"襲来!
あの、安室奈美恵に次ぐ〇〇〇で…
乞うご期待!!

次号はこちら!↓


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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