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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第9話 逆襲編(4)
祖母の涙
孫やひ孫の活躍だけでなく、道場生の育成や社会貢献に奔走するフリムンを見て、これまで空手に反対していた祖母が突如フリムンにこう言った。
「ゴメンね」
「本当に空手が好きだったんだね」
「なのに反対ばかりしてゴメンね」
そう言って涙を流し、フリムンの頬を撫でた。
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祖母にようやく認めてもらえたフリムンは、今まで以上に本気で空手に打ち込もうと決意。
自身の修業だけでなく、道場生の育成、青少年健全育成、地域貢献にも更に力を入れていった。
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とにかく依頼されれば何でも応えたフリムン。子どもたちにも社会貢献の大切さを学ばせた。
急成長
そんな父親を尻目に、中学に進学した長女は全国大会(一般女子)でもベスト4に入る快挙を見せた。
この時期が最も勢いのあった頃である。
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そしてその数ヶ月後に出場した県大会で二連覇を達成。
八重山初の快挙であった。
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こうして順調な競技人生を送っていた長女であったが、思春期を迎えた彼女の心に、この頃から少しずつある変化が起きていた。
少年部から一般部へと移る際に、どこの道場でも起こりうる空手界あるあるである。
特別昇段審査
初段取得から7年後、道場責任者の責務として弐段への審査を受けるよう指令が出た。
フリムン39歳の時である。
40を前にしても現役に拘り、未だ一般男子として20代の若者としのぎを削っていたフリムン。
しかし、彼の本業は道場責任者。対外的にも初段のままで良いはずはなかった。
フリムンは苦手な型にも力を入れ、今度こそ滞りない内容にすべく、日夜稽古に没頭した。
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空手歴11年で弐段。
極真では早い方だが、他の流派では遅い昇段である。
しかもフリムンは道場責任者。
他の流派の先生方は既に五段から六段を締めているのだから、弐段でもまだ格好は付かない。
それでも、厳しい条件を課す極真会館の方針に一切不満は無かった。逆に帯の重みに誇りさえ感じていた程だ。
こうして初段から弐段へと段位を上げたフリムンは、武の道の探求に更に踏み込んでいった。
この島に、未来永劫「極真空手」が根付いてくれるように。
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空手だけでなく、青少年の健全育成にも力を入れていたフリムン。
この頃から、市教育委員会の「登校支援員」として、地域の子ども達のために日夜奔走していた。
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毎年、身障者支援チャリティー大会を開催し、多額の寄付を募っていたフリムン。
ただ、増加する寄付の金額に反比例して、毛根は徐々に減少の一途を辿っていた(◞‸◟)
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ちなみに当時は大会のパンフレットも手作り。コピーから製本まで、道場生一丸となって行っていた。
(そんな貴重なパンフの写真がこれである)
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こうして徐々にキョクシンの名を石垣島に浸透させていったフリムン。
空手人生もプライベートも順調に進んでいるかのように思えたが、まだまだ魔の手は彼を手放さなかった。
そしてある日突然、彼を三度目の悲劇が襲う。
フリムン…前厄の年である。
次回予告
次回、またもやフリムンを襲う引退危機。
果たして彼の運命や如何に?
「七転八倒編」…乞うご期待!!
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この記事を書いた人
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田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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