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豪快な海賊を目指して歌ってみたら・・・@リアソニ

「まだ見ぬ自分の可能性に出逢う」。

こんにちは、まるです!

なんだかパワフルな予感がするコンセプトに包まれた、コーチが出演者となって歌をうたうLIVEに参加してきました。題して「Hey! Real Me Sonic(通称リアソニ)」。4月に参加表明して、3人の運営の方たちと同じ参加者のコーチ仲間6人との重ねながら、6月22日(土)に本番のステージを終えた今の私の心境をつらつらと綴ってみたいと思います。


①「心残りがない!」なんて胸を張って言えたのいつぶりだろう・・・?

イベント参加時の自己紹介でこんなことを書いていました。

イベント参加を決めた直後の自己紹介文の一部

上手い・下手に囚われていて、雑念ばかりが頭を飛び交っている感じです。

中学生の変声期の頃に「そんなに歌下手だったっけ?」と母親から言われたこと。音楽経験の少ない運動部の友達が音楽の歌のテストで拍手喝采浴びたこと。一方、合唱部なのに緊張して声を震わせながら苦しそうに歌う自分の苦い経験。大学で熱中していたアカペラで、歌のうまい仲間が「すてきな声ね。上手ね。」と観客の方から声をかけられるのを、寂しさを感じながら傍から見てる自分の記憶。そういうものが染み付いていて、「うまく歌えてるかな・・」という雑念がいつも頭をよぎるんです。

そんな頭の中の声を払拭し、自分を受容することで”自分が持つインパクトに自覚的になる”。を実現するべく参加したリアソニ。

本番前の意気込みシェアのときも、「楽しみぬく。」「走りきった後のようなスッキリと清々しい感じ。」を目指すと、ほのかに緊張しながらもワクワクししながら話していたっけか。

本番前の意気込みシェアのときの自分


歌以外の場面においても、「うまくないと・・」「クオリティが高くないと・・」という決め込みの色眼鏡で世界を見てしまっている自分がいることを感じている。だからこそ、歌を通じてその眼鏡を外すことに挑戦するのは自分にとって特別な意味があることだった。

そのステージで、「やりきった!」「楽しみきった!」「心残りがない!」と言えたことは、私の人生においては結構エポックメイキングな出来事だった気がする。

歌い終わった後の感想シェアのときの自分(風呂上がりか。笑)


思い返してみると、ステージから見えた景色はぬくもりに溢れていた。
温かいまなざしやにこやかな笑顔。真剣な顔つきにちょっと怖そうな顔。色んな表情で聴いてくださる方たちがいた。

一瞬、冷酷な視線が集まる世界の見え方に引っ張られそうになったタイミングがあったけれども、落ち着いて自分を取り戻し、のめり込むように、感じるままに身体を動かしながら、ただただ歌うことを楽しんだ。

のめり込む(?)自分


「まるさんが安心しているのを感じた。」そんな言葉をかけて貰えて、歌に不安を感じていた自分はどこにいったのだろう?と、なんだか遠い過去のようにも思えた。
それに、シリアスな表情してた人も、心から受け取って感動してくれていたことが後からわかった。自分が決め込んでただけだったんだなぁ。


②失敗しても笑っている自分がいた

「自己受容」をテーマに選んだ1曲目。あなただったら、家族だったら、友達だったら、仲間だったら、と周りの人のことだったら許せるのに、自分のことになると途端に厳しくなってしまう。「そんな完璧主義な自分はもう手放そう。」と思い、選んだ。シリアスなトーンから、朗らかなトーンへに変化していく感じ。その質感を曲から受け取っていて大好きになった、「あなたを愛するように / idom, peko & 鈴木真海子」を歌った。

音を外す・喉が絞まる・苦しそう・歌詞を間違える、と途端に身体に反応がある。

「やべぇ・・・」

焦る気持ちと共に心臓の音がバクバクしてくる。身体が強張り、呼吸もうまく流れない。更に喉が閉まり、声が震え出す・・・。これは失敗があったときの私の典型的な反応のパターン。

でも、途中で歌詞を間違えた時に、その反応がなかった。応援に駆けつけてくれていた妻からも「まちがえた〜!ってときも、それをそれとして受け止めてる感じでよかったよ :)」とコメントをもらえた。自分でも驚くほどに気持ちよく笑っていた記憶と感覚が今もまだ残ってる。

「なんだ、もう自分のことも許せているじゃないか。」

そう思わざるを得ない体験だった!失敗する自分を人前で見せられる、それも朗らかに笑ってられる。そんな自分への第一歩もあったのが嬉しい・・!(自分のこと愛せてるじゃん!!笑)


③まだ見ぬ自分のインパクトの正体・・・

「奔放な自分」。

それがまだ見ぬ自分のインパクトであり、自分の内なる願いだった。歌い終わった直後も、落ち着いて振り返っている今も、そう腹落ちしてる感じ。

他にも沢山の嬉しい言葉をいただいたのだけど、聴いてくださった方たちから下記のような言葉を頂いて、「奔放」というインパクトに咀嚼されていってる感じ。(時間をかけて観に来てくださって、こんな素敵な言葉をかけてくださって本当に本当にありがとうございます。😭)

・「空にかかる虹のよう」
・「楽しそう・嬉しそう」
・「遊んではばたく」
・「輝く」 (= 「一番星」とか「金色に輝く」とか)
・「ソウル」

事前の対話から見つけていた未だ見ぬ自分は、「豪快な海賊(=細かいことは気にしない)」だったのだけど、ステージを終えてみるとそれは通過点だったのだと気付いた。おお〜。

加えて、自分の持っている声や歌の表現が多様で多面的であることを沢山の方から教えてもらった。そこからも、「秘密の内なる自分がいるなら、そのままもっと出していい。」そんなメッセージを受け取った気もする。

「多様でいい。」
「一貫性なんていらない。」
「どんな自分でも主人公なんだ。」

と。腑に落ちた感じもする。
そのままの自分でいて、そのままの自分で受け取る感受性を豊かに、そのままに発していられたらなぁ、と願わずにいられない。

多様な自分がもっと溢れてきたら、次は「雄々しさ」とか「激しさ」とかも前に出てくるかもなぁ。

④仲間から受け取るインパクトがあるからリアソニは面白い

そんな自分のインパクトだけど、自分ひとりで歌ったり考えてみても、見つからなかった気がする。聴いてくれる人がいたり、同じくしてリアソニに臨む同志のような仲間がいるからこそ、共鳴し、自分の心に響き、訴えかけてくるものがある。その他者からのインパクトが種となるから、自分のインパクトに自覚的になれた、今はそう思ってる。関わってくれたすべての人に感謝だなぁ。本当にありがとう。

ちなみに私が仲間から受け取ったキーワードの数々はこちら。

「不確定なものに飛び込む勇気」「エッジがあっていい」「仲間愛」「純朴なままでいる」「合わせにいかない」「このままの自分がいい」「尖る」「違ってていい」「放つ」「はつらつ」「自然体」「非言語のまま」「そのままの自分の感受性」「支える」「頼もしさ」「愛」「没入する」「自己表現」「ソウルフル最高」「自分”が”いい」「堂々と毅然と」「みんなで」

これらが複合的に絡み合って、無意識のうちにも作用し合って、いつのまにか自分の土壌になっている。そんな気がするし、そんな共鳴し合うSonicこそが、このリアソニの醍醐味なのかも。共にいてくれる仲間がいる、宝物だなぁ。しみじみ。


カーテンコールでのいい顔したみんな

⑤目の前に広がる道

いやぁ、リアソニ最高。3月にお誘いをうけて、当日に重なっていたもう一つの予定と兼ね合いで、ギリギリまで参加を悩んだけど、参加を決めて、のびのびした自分の全力で準備して臨んで本当によかった。

リアソニをつくってくれた皆さん、応援にかけつけてくれた皆さん、関わってくれた皆さんに改めて感謝です。ありがとうございました!

加えて、これからの展望も少し書いておくと・・・

6月22日に重なっていたというのが実は、スウェーデンで催されるお祭り「夏至祭(ミッドサマー)」のこと。

4月から「HYGGE Night Radio」という音声配信も始めていて、北欧(特にスウェーデン)に惹かれる自分の気持ちからコンセプトに織り込んでたよなぁ。うむうむ。(ラジオの詳細↓↓)

奔放さに出逢ったいまここの自分としては、やっぱり「ほっこり・かわいい」と感じる自分の感受性の探求が止められない。愛嬌のあるリサ・ラーソンさんの陶器の置物から溢れ出る魅力に誘われるままに、近くスウェーデンに足を運んでみるぞ。運ぶぞ。うおー!

ここまで読んでくださってありがとうございます:) また次回に。


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