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小説 亀

 一頭の亀が隅田川の上流から流れてきた。不思議に思ってじっとその亀を見ていた。最初は亀だとは思わなかった。
 僕があまりにもじっと見ているので、周りの人間もそれにつられて見ていた。人が流れてきたのではないか。そんな風に思ったのだ。

 どんぶらこ、どんぶんらこ。
 そんな言い方は古いかもしれない。しかし、その言い方が最も適切であるように思えた。

 隅田川を一頭の亀が悠々と流されていった。泳いでいるというのではなく、波にただ身を任せているだけといった風であった。どんな抵抗もせず、川の流れに身を任せていた。 

 あの亀はどこに行くのだろう。

 しばらく見ていたけれども、次第にその姿は見えなくなった。
 なんだ亀だったか、とやや周りの人達は残念そうに言って去っていった。

 家に帰って、妻にその話をした。妻はその話を興味深そうに聞いた。
 どうして亀がいたのか、自分で川に入ったのか、飼われていた亀なのか。彼女の頭の中にはたくさんの疑問が瞬時に湧き出た。

  確かに、亀が自分で川に入ることはないように思った。川に入れば、ただ流されていくだけである。行き着く先は河口で、そこを抜ければ後は海が待つばかりである。海は広い。そんな話は蛇足だろう。

 
  亀はどこへ行こうとしたのだろうか。どこに。

 亀は心臓の鼓動がとても遅く、そのために寿命が長いらしい。一番長い亀は100年以上生きるのだそうだ。
 
  あの亀は一体何年生きるのだろう。おそらく、僕らとは時間の感管区が違うに違いない。人間からしてみれば、永遠とも思えるようない時間を生きているに違いない。 

 亀の時間を人間の時間に換算しているなんて、そもそもおかしいような気がした。

 妻の癌が発見されたのは一昨年のことだった。幸い、早期の発見だった。抗がん剤治療が始まって、今は日常の生活を取り戻した。
  しかし、再発する可能性もゼロではないという。

 妻は「大丈夫、大丈夫」と口癖のように言う。
 僕も自分に言い聞かせるように、大丈夫、大丈夫と繰り返す。

 それでも、たまに家の中にいることに耐えられなくなることがある。
 未来を思う時、自身の時間の先には暗い雲がかかっているのではないかと思う時が、多々ある。

 そんな時、隅田川のほとりで、川面を眺める。川の流れはそこでとどまることはない。必ず未来へと、向かっていくのだ。たゆたう水面を見つめながら、心を空っぽにしようと努めるのだ。
 そんな時に、あの亀に出会った。

 
 5年生存率という言葉がある。5年。長い時間だ。もちろん、その時間を過ぎれて絶対安心というわけではない。

 定期的に、妻も検査へ向かう。
  妻はいつも「大丈夫、大丈夫」と言う。
 しかし、検査結果を聞くとき、いつも彼女は不安そうな表情を浮かべる。


 帰りのバスの中で、彼女は一言もしゃべらなかった。
 もしも、僕らが亀ならば、明日を恐れることなんてないのかもしれない。
 ゆったりとした心臓で、毎日を生きていくのかもしれない。終わりなき時間が、体感の上でやってくる。
 しかし、僕らは亀ではないのだ。
 黙っていても、時間は流れて、明日は来る。 

 僕らはどこに流れていくのだろう。行き着く先は、あまりに広い、海である。

 
 その夜、彼女は小さな声で言った。ベッドの中で、とても小さな声で言ったのだ。消え入りそうなほど弱い声で。
 「大丈夫、大丈夫」 
  僕は彼女の手を握って言った。
 「絶対に大丈夫だ」
 

 それから数年たった。
 癌の再発はなかった。彼女は元気に仕事に向かう。

 亀の甲より、年の功。
 時は流れていく。僕らの生活も進む。

  
 

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