丸岡雅弘

フォークシンガー/東京(下北沢と吉祥寺など)を中心に活動しています。備忘録のようなもの…

丸岡雅弘

フォークシンガー/東京(下北沢と吉祥寺など)を中心に活動しています。備忘録のようなものを書いてます。

最近の記事

福島のおじさんのこと

 7月も始まったばかりだというのに、ずいぶん仕事でやられている。クタクタだ。クラクラする。眼精疲労がある。フラフラして、現実感覚がなくなっている。  なんとかこの文章を、電車の中で書いている。行きの電車は、ほぼ睡眠時間。帰りは文章を書く時間。それでもすぐに疲れて、目を閉じてしまう。  ほとんど感覚に任せて、つらつら書いている。だからオノマトペが多い。全く論理的思考は使い果たしてしまっている。こういう時には、少しだけマシな詩が書ける。そんな気がしているだけだ。  コロナ禍

    • ゲンゴ・スクラップ

       いったい生きるってなんだろうとか、考えない方がいい。考えるには未熟すぎる。  今朝のニュースで、小学生の数よりもペットの数の方が多い、というのを見た。なかなか衝撃的だ。とあるアイスで有名な会社では、小学生よりもペットをターゲットにした商品の開発を進めているらしい。  いったい生きるってなんだろうとか、考えない方がいい。考えるには未熟すぎる。  出勤する時に、たくさんの人が行き交う横断歩道で、ずっと待っている車がある。そろそろ行かせたいなと思って、立ち止まってみても、みんな

      • 6月16日と僕の不完全な日々

         木曜日くらいから急に暑くなって、エアコンを付けてしまった。今日は6月16日、夏の初め。昨夜の雨で冷やされた風が、窓から静かにやってくる。寝過ぎてぼやけている僕は、ずっと布団の上でダラダラしている。  昨日は昼間から飲んでいた。突然のBBQの誘いに嬉々として乗っかり、サークルの後輩たちと馬鹿話をしていたら、飲み過ぎてしまった。午後14時には終わって、その後デニーズで瓶ビールとオムライスを食べた。この時点でまあまあ限界がきているのにも関わらず、帰りがけの池袋の立ち蕎麦屋で、か

        • 昼には蕎麦をよく食べています

          あんパンを潰したような世界があって 牛乳に浸したような街を眺める 僕の乗る電車は8番線から出発したのだが 確約された米粒が怒り狂っているようだ ビニール袋の中にあるサンドイッチ 雑踏の中にさまざまな人生がある 髪を伸ばして社会に反抗しよう 口にはたくさんの大福を詰めている 君と出会った時、世界はおしるこだった 全く気にかけないことが、実は大切だったりする それは寿司ネタの中にあり、蕎麦の薬味である 少なくとも僕としては冷奴の生姜であった 確約された米粒が並んで俯いている フ

        福島のおじさんのこと

          雑感

           現実が二つある。ひとつはふわふわと浮いていて、たまに僕の元へ降りてくる現実。もうひとつは僕の足元で、ベタベタと泥のように離れない現実。  この二つに挟まれて、僕は感情の浮き沈みを繰り返す。水泳の息継ぎみたいに、吸っては我慢して、吸っては我慢して、たまに過呼吸になる。  そして何も考えられなくなる、ピタッと何もできなくなる時が来る。それを受け入れると、楽になる。何もしなくていいことに気づけると、こころが穏やかになる。  自分ではどうしようもないことが、世の中にはたくさん

          きっとここではないどこか

          ......2024年1月から2月の終わり、きっとここではないどこかにて。 ------------ どこを見ても静止したままの人生だ 冷たい指先に春が滲む ふと見上げた青空に公団住宅 ぼんやりした貘の食べる蒸しパン じわりじわりと染みて大根の色 死ねば皆同じ空の雲 間伸びした青空に慰められる 草臥れた骨を外して三千里 ゴールテープより君を選んだ雲の一筋 強風世界でじっと待っているよ 睡魔は静かに口を湿らせる 寺山修司を見る目が血走る 僕は春のぬる

          きっとここではないどこか

          かもしれない、日常

           昨日の夜、解剖学の養老孟司さんがブータンに行く番組を見た。  寝る前になんとなく見ていたのだが、さりげなく出てくる言葉が、妙に心に響いてしまった。  先生曰く、「日常の重要性は、歳を取れば取るほど分かってくる」のだという。「人生ってそんなに大したもんじゃないよ。」  解剖学という大したことをして、『バカの壁』という大した本を書いた人が言うのだから、なんとなく説得力がある。  人生で何かを成し遂げても、富豪になっても、地位や名誉を勝ち取っても、大したもんじゃないのかもし

          かもしれない、日常

          心地よく生きる

           2023年もあっという間に終わり、2024年がやってきた。今年は年男で本厄の年。どうなっちゃうんだろう。  とは言いつつ、年越しはなんとサウナで迎えてしまった。毎年大晦日には下北沢のARTISTというライブハウスで、演者だけの年越しオープンマイクに参加するのだが、見事に飲み過ぎてしまった。なんとかして都内のサウナに潜り込み、フラフラのまま年をまたぎ、気分が良いままにLINEで新年の挨拶をして寝た。  気づいたら朝7時半。初日の出も見れず、二日酔いのしんどさだけが残った。

          心地よく生きる

          2023年5月24日(水)

           休日、昼下がり。  冷たい雨がアスファルトを打ち、神田川は見事に増水していた。飯田橋にある河畔のレストランはさながら、周遊するフェリーの船内を思わせた。  ある人は言った。 「社会に必要とされる人間になりなさい。あなたの価値は、社会にどれだけ貢献するかで決まるのです。責任を持って行動した分だけ、あなたはその対価をもらえます。社会で生きるとは、つまりそういうことなのです。」  僕はその言葉を中央線の中で反芻する。外では東京のビル群が雨に湿っている。着倒してクタクタにな

          2023年5月24日(水)

          2023年5月3日(水)

           全く雲のない五月晴れを、布団に寝ころびながら見ている。ひんやりとそよぐ薫風が、熱った頭を撫でてくれる。つい穏やかな気持ちになって、何か物でも書くかとパソコンに向かう。  この4月からのおよそ1ヶ月間、ちゃんと自分のパソコンに向かうことがなかったと気づく。落ち着いた穏やかな気持ちで、自分の好きな事に向き合っていなかったと気づく。それくらい、新社会人にとってのこの一ヶ月は、緊張と勉強と忙しなさの連続だった。おかげで体調を少し崩している。  入社して3日間は、社会人としてのマ

          2023年5月3日(水)

          エイプリル・フール

          どんなに桜が散っても 僕のコップの底には 透き通った砂が沈澱している 光を通してもまだ純粋な きれいな思い出 嘘のない星の砂 新芽が青く萌えて 風は湿度を含み始めて 夜の底まで澄み渡る青空に 僕は立っている それはそれは、きれいな きれいな夢 日の当たる穏やかな場所を 見つける旅 辛いときも、悲しいときも みんないる そばにいる 僕も、そこにいる 春なんて遠い未来だと思っていた 気づけば、薫風が吹き抜けて またひとつ、やさしさを覚えた それはそれは綺麗で、 美しくて、

          エイプリル・フール

          2023年3月13日(月)

           起きるとそこは、友人の車の中だった。  昨日ライブをして、言っちゃあれだがリハーサルから呑んでいたのだが、うまく出来た手応えもあって、つい飲み過ぎてしまった。つい飲み過ぎたというか、僕の体はアルコールを必要としていたので、必然的に飲んでしまった感じはある。僕は馬鹿だ。  観に来てくれた後輩や同期と一緒に、終電も気にしないで飲み直し、人の家に泊まった。しかし春の魔法というのだろうか、彼の家には寝るスペースがなく、仕方なしに車で一晩を明かしたという訳だ。何をやっているのだろ

          2023年3月13日(月)

          劇団ヅッカ#1『祭典:RAKUDA』に寄せる断片

           この熱量、気迫、煩悶する若者の空気感はなんだろう。  世界は鮮やかで、重層的で、示唆に富んでいる。我々は知らないうちに、偶然と必然の網目の中を生かされている。彼らもまた、そのことに気づいている。そして我々は、その「運命」から逃げることはできない。  劇団ズッカによる#1『祭典:RAKUDA』は、観客たる私の心に大きな印象を植えつけた。まさに非常事態としての「ハレ」だった。誰の心にも忘れられない日付、3月11日が終わった深夜1時にこの文章を書いている。  死は誰のそばに

          劇団ヅッカ#1『祭典:RAKUDA』に寄せる断片

          言葉にしてしまうと、その時の繊細な感情が崩れてしまうような、そんな旅もある。旅の意味が理解できた時に、繊細な感情が成仏して、言語化できるようになるのだろう。旅の思い出を咀嚼するために、まだまだ時間が人生の規模で必要な気がする。

          言葉にしてしまうと、その時の繊細な感情が崩れてしまうような、そんな旅もある。旅の意味が理解できた時に、繊細な感情が成仏して、言語化できるようになるのだろう。旅の思い出を咀嚼するために、まだまだ時間が人生の規模で必要な気がする。

          2023年2月27日(月)

           穏やかな春の陽気、気温は14度くらい。  3月にあるゼミ旅行のためにPCR検査をしなければならないのだが、今日は気持ちが乗らなくて降りるべき駅を通り過ぎてしまった。そしてかねてからやりたかった「ぷち旅」を敢行すべく、三軒茶屋へ行った。  本当に気持ちの良い快晴だった。歩くには丁度いい。三軒茶屋から豪徳寺まで、2時間ちょいくらい歩いた。途中史跡や寺社仏閣を巡り、世田谷という土地のディープな歴史を堪能することが出来た。それについては後日レポートしたいと思う。  結局のとこ

          2023年2月27日(月)

          2023年2月26日(日)

           風の強い日、気温は10度くらいで晴れ。  髪の毛を切った。もう少しで聖子ちゃんヘアーにできるな、と思ったけど、それよりスッキリしたい気持ちが勝った。閉塞気味な毎日に風を通す。  僕に足りない感情は、「怒り」だと思った。だからと言ってムカついたことがある訳ではないが、僕は今まで他人の「怒り」の感情を、上手く避けて生きてきた。と言うよりは、「怒り」に対して無関係であろうとしていた。「怒り」はあまりにもストレスフルだからだ。  でも心に牙を持つことは、能動的な生には必要不可

          2023年2月26日(日)