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「書く」のが遅いのはどこが原因か

KYOTOGRAPHIEの季節なので行っては書き起こすなどをしていたら、GWも終わって5月の中旬に入っていました。人生が終了していく流れと似たものを感じますね。これはいかん。

書くのがめっぽう遅いのです。「書く」のフェーズは以下のような段階があります。「書く」のが遅いのはどこが原因か見てみましょう。

①書くための体制をとる(blogの日時やタイトル、写真アップロード等、各種仕込み)

②日中思っていたことを集めて波にする

③思いの波を言葉におきかえる

④キーボードで言葉を打っていく

⑤整え


はあなるほど。

可視化してみると、このうち日々私が苦悶しているのがフェーズ③です。脳出血の後遺症かなと思うぐらい言葉がでません。脳。思いや意識はあるのですが、いわゆる日本語への変換が辛く、時間がどんどん過ぎます。日本以外の国で育ったことがないんですが。おかしいですね。


固有名詞は特にやばいです。「ナッツリターン女」とか「水かけ姫」といったスラングに近い言葉はいいのですが、基本的に固有名詞とくに人名や地名を覚えられないことと、呼び迷いがひどく、「麻生大臣」なのか「麻生外務大臣」なのか「麻生太郎」なのかで一人で悩んで酒に走ります。よくないな。ジン、ラム、テキーラをストレートで呷るのが常です。これらは効き目がシャープでよいです。


調子よく筆が進むときも実は多々あるのですが、その時の日本語の荒さは非常にヤバいです。フェーズ⑤で悶死します。写真展のレビューのはずが、いきなり政権批判とか政権批判者への批判とか批判行為自体への批判などが繰り広げられていて愕然とすることがあります。なぜそうなるのかは不明ですが、せっかく分泌された脳内麻薬が正しく活用されていないことに遺憾の念を禁じえません。そういえば中学時代に塾の国語の先生が「ラブレターは絶対に夜中に書くな、書いても翌朝もっぺん確認しろ」と言っていました。そいうことです。

このようにフェーズ③、④がうまく進行する時ほど危険で、後で見返したときに悶死確定ということを何年も繰り返してきて、経験則で理解しているため、あいうえおの書き出しでものすごく慎重になるのかもしれません。


自分の写真作品を社会に発表していかないといけない、ということでこの2年間、写真・映像系のスクールでやってきましたが、最近特に日本語の読み書きにうんうん言ってる頻度の方が遥かに高くなっており、何の人なのかよく分からなくなっています。今もRAW現像の最中に急に催し、脳がかゆくなったのでこうして投稿を始めたわけです。ああ。集中したい。だめだ。松岡修造が隣にいても無理だろう。

麻生氏の「セクハラ罪という罪はない」は名言です。迷言ですかね。これ以上ないほどミニマルなのに、社会へのインパクトが大きすぎます。そういう、結晶体のような言葉を編み出せたらいいなあと思いますが、脳卒中あがりのリハビリ者みたいな私の迷走はまだまだ続きそうです。


そろそろRAW現像にもどります。 ( ´ - ` )ふう 

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