全部、自分だ
毎日noteを始めて1ヶ月が経った。
ありがたいことに、思いの外友人が読んでくれていて、時には感想を貰うこともある。
すごく嬉しい。どれくらい嬉しいかというと、毎回ニヤケ顔でスクショをとり、いつでも読み返せるよう専用のアルバムを作って保存しているくらい。
当初、このnoteの存在を友人に伝えるかどうか、とても悩んだ。
知ってる人だからこそ言うのが恥ずかしいこと、知らない人だからこそ言えることがある。このnoteについても、誰も知らないところで好き勝手書きたい、という思いはあった。
というのも、私は結構なオタク気質のようで、好きなものはとことん調べて過去まで遡るし、話し出すとめちゃくちゃ長くなる。
そういった部分を友人に見せるのが妙に恥ずかしくて、これまで好きな事実は話しても、それについて熱く語るようなことはなかった。
その代わり、ワンオクにハマった時も、関ジャニ∞にハマった時も、それ専用のSNSアカウントを作り、同じモノに同じ熱量を注ぐ人達とだけ分かり合い、仲を深めてきた。
それでいいと思ってた。
でも、同時にそれが自分の首を締めているのも事実だった。
アカウントを増やす作業はあたかも自分の一部を削り取っていくかのようで、小さな自分が増えていくと共に、核となるはずの自分はいつしかとても小さくなっていた。
どれが本当の自分なんだろう。
私は何から隠れてるんだろう。
そんなことを薄らと考えていた時、目に飛び込んできたのが"生き物は多面的"という言葉だった。
人間誰しもが皆それぞれ、色んな顔を持っている。どの場面でどの顔を見せるか、それ次第で印象は変わるけど、結局どれも自分の一部なのだと、そんな内容のことが書いてあった。
ちなみにこれは関ジャニ∞の安田くんの言葉。子供の頃から芸能界に生きて、何より病気を経験した彼の言葉はとても重みがある。
どれが自分とかじゃなくて、ぜんぶ自分。
だったらもういっそ、曝け出してしまおう。
それに、そもそも思うほど周りは私に興味なんて無いし、きっとみんな忙しくて人の投稿なんて見てないはず。
そう自分に言い聞かせて、友人にも思い切って見せることにした。
そしたら意外や意外、毎日読んでるよって人や、感想を送ってくれる人までいて。
感想って時間も労力もいるし、何より私自身を知ってくれてないと結構ハードルが高いことだと思う。私も知らない人のnoteを読んで、いいね!をすることはあっても、コメントを残すことはなかなかない。
だからこそ、こうやってダイレクトに言葉を届けてくれる人が周りに居ることがすごく有難い。
何より私自身がすごく楽になった。
裸になって「これが私でーす!」って大声で街中歩いてる気分。(捕まるよ!)
noteを通して、分散していたアイデンティティが一つになって戻ってきたような気がする。
勇気を出して良かった。
読んでくれてる友人各位、ほんまにありがとう。
私のことを知らなくても、どこからか辿り着いて今読んでくれているあなたもありがとう。
上手い文章は書けないけど、これからも感情のこもった文章を書いていきたいです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
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