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マンハッタン East10th Street

祖母、母、娘のZINEを作るというので、
思い出すことを昨日まで、たくさん書いていた。

でも、もっと書けと言われたら、
30歳の時、一人でマンハッタンに一週間くらい滞在したときのことだな・・と思うと、急にS子は今どこでどうしているのだろうかと考えた。



当時、私の年下の友人S子は、
24歳も年上のアメリカ人男性と
Easr 10th st.のアパートメントで暮らしていた。
彼らは一年後に結婚し、そして数年後離婚したのだけれど、
でも、その時は共に暮らし始めたばかりの時期だった。
S子はまだ23歳だった。

S子は松田聖子さんをクールにしたような風貌の華奢で魅力的な子だった。
恋人のRはフォトグラファーで、そういえばアパートメントの暗いリビングルームの片隅に、ずっしりとした黒いカメラスタンドのようなものがあった。
「彼は猟奇的で、一回別れ話をしたらライフルをこめかみに突きつけられたの。だから、落ち着いた声で、ねえ、やめてくれる? もう別れるなんて言わないから・・、そう言ってやめてもらったの」
と、 S子は私と二人で行ったWest Villageのピザ屋で淡々と言い、煙草の煙をふーっと細く吐いた。
その後、チャイナタウンの南の、当時できて間もなかった新しいショッピングスクエアへ歩きだしたのだけれど、
「疲れるのでキャブをつかまえよう」と彼女が細い右手を挙げた。

彼女は、一年前に交通事故で即死した妹の法事で来月日本に帰るので、そのときに着る黒かダークブルーのドレスを買うのだと言った。
店に入って、気に入ったレーヨンのテロテロした黒いドレスの、サイズ3を探してほしいと店員に告げると、すぐに奥から出してくれた。
イタリア系の女性店員が
「あなたは本当にスキニー! このドレスが、死ぬほど似合うわ」
と、一緒に働いている女の子と顔を見合わせて何度もうなずいた。
S子は華奢で、クールで、ほんとうに綺麗だった。


ある夜、Rと待ち合わせて、East Villageの小さなレストランバーに出かけた。
Rは、カクテルを数杯飲むと機嫌が良くなり、バーテンダーとしゃべるために陽気に席を立った。
「よく来るの、ここは?」と私が尋ねると
「月に一回は来るわね」とS子は言った。
彼女は油で揚げてソースをかけたキャットフィッシュを注文し、カクテルしかいらないと言うRに
「シェアしましょう。あなたも食べなければ、honey..」
と心配そうに彼の瞳を見つめながら、Rの左手の甲を撫でた。
S子がRを心から愛していることがその時わかり、なんとなく切ない気持ちになった。


二人と別れて、私は歩いて、West Villageの大きな公園の前にあるホテルへ帰った。
ホテルの古いエレベーターで9階まで昇り部屋のドアを開けると、S子が言った通り、夜の闇の中にエンパイヤーステイトビルディングが細い窓の向こうに輝いていた。
彼女はハイスクール時代、ダウンタウンのクラブで遊んで真夜中にこのホテルに泊まっていたという。アンディ・ウォーホールやキース、その他ミュージシャンの知人に囲まれていたS子。
週末はクラブで踊るために、ロードアイランドからわざわざマンハッタンに出てきた。ホスト先から目に余ると苦情の電話を受けた親が日本から迎えに来て、強制的に連れ戻された時、血液検査をしたら血が文字通り真っ黒だったと言った。

そういえば、昨日真夜中にネズミが紙袋の中から小さなフランスパンを引きずり出そうとしていたのを思い出した。私は、怖くなってテープルに何も食べ物が残っていないことを確認してから、ヒールも脱がないままベッドに仰向けになった。


明日はUpper EastのYukaさんに会える。セキュリティガードマンが常駐しているアパートメントを最近買ったと言っていた。大学時代に一回会っただけの先輩であるYukaさんなのに、なぜかとても懐かしい友だちに再会するような、心強さでときめいた。


Village界隈は放浪者が住み着く街の自由さと、
使い古されたパズルがバラバラとこぼれたような放蕩に満ちていた。
S子とRのあの暗くて古いアパートメントの家賃が1500ドルだということ。
あのレストランの赤とピンクのガラスの照明とバーテンダーのくつろいだ笑顔。あの店にしっくりと馴染み、黄土色の壁紙の中に溶け込んだ常連たちの顔・・・・。
そのどれもが、けっきょくは異国の風景であり、数日後には過去になることが私にはわかっていた。どうにも終着点のない感情と疲れのなかで、私は溺れるようにそのまま朝まで眠った。