『結婚詐欺師』
俺のことを人は結婚詐欺師と呼ぶ。
しかし、俺は騙したりはしない。
俺は、愛しているなどとは決して口にしない。
詐欺師じゃないから、嘘はつかない。
愛されるのはいつも俺だ。
金品を要求したこともない。
愛した男が困っていると助けてあげたい。
世の中には、そんな母性溢れる女性が多いというだけのことだ。
俺を愛する女性は、裕福な女性が多かった。
信用してはもらえないだろうが、たまたまだ。
なぜ裕福な女性が俺を愛するのか。
それは女性に聞いてくれ。
ただ、誰だって約束が守れないことはある。
そんなつもりはなくても、別れなくてはならない。
そんなこともある。
別れた方が、相手のためだ。
涙をこらえて去っていく。
顔で笑って、背中で泣いて。
男、寅さん。
そんなこともあるだろう。
ああ、それなのに、それなのに。
俺を世間は詐欺師と呼ぶ。
そして、今日も刑事の野郎は俺を付け回している。
歳からすればベテラン刑事に違いない。
俺の行く先々で、鋭い眼光が狙っている。
俺が誰かに、
「愛している」などと囁こうものなら、すかさず逮捕する気に違いない。
だが、そんな手に引っかかりはしない。
あいつの目の前で、何度も俺は大金を手にしてきた。
いただけるものを、いただいただけのことだ。
その度にあいつは、悔しそうな顔を隠そうともしなかった。
いい気味だ。
今回の俺の獲物は、余命いくばくもない女性だ。
不治の病で入院しているその女性は、莫大な財産を抱えている。
それをいただこうというわけだ。
今回は籍を入れたって構わない。
そうすれば、法的にも完璧だ。
もちろん、そう願うのは女性の方だ。
「死ぬ前に、籍を入れてほしい」
「あなたに全財産を残したい」
そう言わせるために、俺は日夜、見舞いに訪れている。
もちろん、刑事の野郎は、毎日廊下の向こうからこちらを見張っている。
ある日、深夜に呼び出された。
彼女の容態が急変したらしい。
そして、彼女が俺にどうしても頼みたいことがあるという。
さあ、いよいよだ。
俺の腕の見せどころだ。
ベッドの上で、彼女はほとんど意識がなかった。
俺は焦った。
せめて籍を入れるまでは生きていてもらわなくては。
そんな俺の腕を掴んで、彼女はかすれる声で言った。
「わたしは今まで誰かと愛し合ったことがありませんでした。
でも、あなたと出会って初めて人を愛しました。
だから、せめて死ぬ前に、あなたからの気持ちも聞かせて欲しい。
愛していると。
今さら結婚してほしいなんて言いません。
あなたにはこれからの人生があります。
愛していると言ってくれたら、わたしの財産は全部あなたにあげます。
だから、お願いです。
最後に、聞かせてくださいませんか。
あなたからの本当の愛の言葉。
愛していると」
ほとんど開かない彼女の目から涙が流れた。
俺は、恐る恐る振り返った。
やはり、刑事はいた。
ドアの向こうで聞き耳を立てている。
俺をつかむ手にかすかに力が入った。
お願いです。
消え入りそうな声がした。
お願いです、愛していると。
刑事はもう隠れようともせずに、仁王立ちになってこちらをにらんでいる。
俺は詐欺師じゃない。
自分に言い聞かせた。
俺は詐欺師じゃない。
目を閉じた。
だが、俺の口は動いてしまった。
「本当に…愛しているよ」
彼女の手は冷たくなった。
気のせいか、微笑んでいるように見えた。
俺は観念して、両手を前に出して振り向いた。
「さあ、旦那、お待たせしましたね」
だが、刑事の姿はどこにも見えなかった。
その金はどうしたのかって?
明日あたり、ニュースでやるんじゃないかな。
あちらこちらの施設の前に、謎の大金が置かれていたと。
だから言ったじゃないか。
俺は、詐欺師じゃない。
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