『どこかのメリークリスマス』
今年も深夜になった。
彼女は仕事先でもらったケーキをぶら下げて家路を急いだ。
雪はやっぱり降らなかったな。
空を見上げて思う。
あんなのは歌の中の話だ。
雨は降らないし。
夜更け過ぎに雪にもならない。
アルバイト先のケーキ屋では、毎年売れ残ったクリスマスケーキをもらって帰る。
家族のいる人たちは、大きめのケーキ。
彼女は1人だからいつも小さめケーキを選んだ。
アルバイトを始めた頃は、
「イブの日だけど入れるかな?」と、
遠慮がちに聞いてきた店長も、もう何も聞かなくなった。
当たり前のようにシフトが入っている。
毎年、入れますって言う私に逆に気を使うようになったのだろう。
そう彼女は判断している。
クリスマスの日は少しだけ時給を上げてくれる。残業もつく。
自分でクリスマスを楽しもうと思ったことはない。
郷里の妹は、クリスマスに深夜までなんて大変だねといつも言う。
クリスマスに働いている人はたくさんいるんだよと、いつも返事をする。
鉄の階段に足音が響く。気を使ってはいるが、仕方ない。少しぐらついている。
アパートの大家さんは、もうすぐ取り替えるからそれまで気をつけてねと言っていた。
もう、何年か前だ。
凍える手で鍵を探す。
かかっているのかどうか、頼りないほど簡単に鍵はまわる。
きしまないようにドアをゆっくり開ける。
彼女は、暗い部屋にただいまと小さな声で言う。
独り言が増えてきたなと思ったこともあったが、最近はそれさえも考えなくなった。
明かりをつけると朝と同じ部屋が浮かびあがる。
そりゃ、そーだ!
彼女は最近亡くなったコメディアンの真似をして、また独り言を言った。
着替えをすませて、テーブルにつくとケーキの箱を開けた。
箱の隅に入っているローソクは、ゴミ箱にすてる。
ローソクは使わない。
何年も前、初めてケーキをもらって帰った時にローソクを使った。
火をつけて、部屋の明かりを消した。
深夜に、ひとりでローソクの火を見つめていると涙が流れてきた。
良くない兆候だと彼女は思った。
それ以来、クリスマスケーキにローソクは立てない。
ケーキを一切れ皿に取り分けると、残りは冷蔵庫に入れた。
冷えて固くなったのが、これまた美味しいんだよね。
彼女は声に出した。
この時には、妹に話しかけていた。
ケーキを食べ終わると、布団を敷いた。
部屋の明かりを消して潜り込む。
明日も仕事だ。
メリークリスマス。
声に出してみた。誰にともなく。
遠くで、メリークリスマスと聞こえてきた。
どうせ酔っ払いだろう。
まあ、いいか。いいよね。
窓の外に白いものが見えた気がした。
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