見出し画像

恐れるべきはAIの作品ではなく、それをAIが鑑賞すること

最近、小説におけるAIの使用が話題になっている。
きっかけは、第170回芥川賞を受賞した「東京都同情塔」の作者、九段理江さんの発言。
「今回の小説に関しては、だいぶAI、つまりチャットGPTのような生成AIを駆使して書いた小説でして、おそらく全体の5%くらいは生成AIの文章をそのまま使っているところがあるので」
僕自身は、まだ九段理江さんの作品を読んでいないので、この発言に関しては何も言えない。
ただ、世間ではいろいろと論争になっているようだ。
そもそも小説の文章にAIを使うことが許されるのかといったそもそも論。
作品にAIが登場するのならそのAIの作る文章に実際のAIが作った文章を当てはめるのはいいのではという意見には、それなら殺人を描くために殺人を犯していいのかと言った、やや興奮気味の極論が立ちはだかったりしている。
また、構想や構成の段階では認めてもいいのではという意見もある。

僕自身は、その是非とは別にいずれ近い将来において、全編AIで書きましたという作品が世に溢れて、僕たちはそれを何の偏見もなく受け入れるようになると考えている。

すでに、アイドルなんかは、もうかなり前からAI作成のアイドルが受け入れられてきている。
Adoなんかは、楽曲はAIではないだろうけれども、本人は姿を現しそうで現さないので、実はAIでしたと言われても、そのまま受け入れられそうだ。
実際に、Adoがそうかどうかは別にして、他のアーティストの楽曲においてAIはかなりの部分で使用されているのかもしれない。
自分の好きな曲が、AI作成によるものだったとしても、それで自分が癒やされている限り、受け入れられるのではないだろうか。
そこで、こんなもの音楽じゃねえと切り捨てる人の方が少ないのではないかと思う。
考えてみれば、音楽においては、YMOあたりから、かなりAI感は出ていたような気がする。
今、AIといちばん親近性があるのは音楽かもしれない。

美術においてはどうだろうか。
もうすでに、AIがゴッホやセザンヌ風の絵を瞬時にして作成してしまうことはご存知の通りだ。
もはや、AIがこれまでにない独自のタッチで絵を仕上げのは容易なことだろう。
その作品の、芸術的価値はどうなるのか。

難しいことを考えなくてもいい。

映画においては、かつては現地でのロケやセットで行っていたものが、今ではほとんどがCGに置きかわっている。
役者がグリーンシートの前で演技したものを、僕たちは映画館でポップコーンを頬張りながらすごいなあと感動して見ている。
エキストラも今やCGだ。
いずれ、主役以外はCGなんてことも出てくるのかもしれない。
いや、それどころか主役さえもCGに。
ゴジラが被り物からCGになっても、誰も文句を言わずに受け入れて来たのだ。
映画においても、タランティーノ風の作品や、スピルバーグ風の作品をAIなら作り出せるだろう。
AI監督、脚本、主演のオリジナルな作品が登場する日も近いのかもしれない。

それらが、もし否定されるとするならば、そこに人間の手が加わっていないからだ。
しかし、人間の手と言うならば、僕たちの生活はすでにどうだろう。
手作りのものなどどれほどあるだろうか。
「職人の手作り」をうたった商品もあるが、それはわざわざそれを目当てに買い求めないと手に入らない。
僕たちを取り巻く商品のほとんどが、工場のオートメーションで作り出された商品だ。
工事では人が働いているかもしれないが、その過程においてはかなり部分をロボットが担っている。

電車、バス、タクシー、マイカーもやがて自動運転になると言われている。
そんな時代に、文学にだけ人の手を求めることに意義があるのだろうか。
「この小説はわたしが書きました」と言って、実はAIだったとわかれば、さすがに「そんなん、ずるいわ」となる。
しかし、
「この小説は、わたしが最初から最後までAIを使って書きました。何か」と言われれば、何も言い返すことはない。
人が苦節何十年で書き上げたものと、AIがほんの数秒で書き上げたものとの違いは、どこにあるのだろうか。
あるのは、作品の評価であって、書き上げるまでの作者の汗や涙ではない。

最近の若い人は、映画を早回しで見たり、ダイジェスト版で見て満足していると聞く。
そんな若者は、おそらく文学作品もダイジェスト版で満足するのだろう。
であれば、元の作品がAI作成によるものであったとしても、彼らには何の抵抗があるだろうか。
近い将来、小説に限らず、芸術作品全般においても、AIの作品が何の抵抗もなく受け入れられるようになる。
文学で言えば、すでに俳句では「AI一茶くん」が素晴らしい句を詠んでいる。
「おじいちゃんが子供の頃は、お話は、キーボードをパチパチ叩いて人間が作っていたんだよ。その前はね、直接紙に文字を書いていたんだよ。恐ろしいね、人間が文字を書くなんて」
そんな日に備えておいた方がいい。
抵抗しても仕方がない。
今や、遺伝子を操作して人の運命までも左右できるまでになった人間は、神の領域に入る前に、また新しい、神以上の存在を生み出してしまったのかもしれない。

ただ、何があっても避けたいのは、AIの生み出した芸術をAIが鑑賞している未来だ。

この記事が参加している募集

最近の学び

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?