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『残された手紙』

もう何十年も前の話です。
関東の小さな村での出来事です。
どうしてこの話がニュースにならなかったのか。
当時はあちらこちらで、政治的な騒動が起こっていました。
同時に、学生同志の陰惨な事件も多くありました。
ええ、あの時代です。
この国が成熟していくための、通過儀礼のようなものだった。
そう語る人もいます。
小さな村の小さな事件など、見向きもされなかったのでしょう。
当時の言い方をすれば、大義の前では取るに足らない、ということです。

発端は、夏休みの子供たちです。
彼らが野球をしていた軟球が、その家の窓ガラスを割りました。
子供たちは、恐る恐る家の門を開けて中に入りました。
家の中はひっそりとしています。
縁側のガラス戸も閉じられたままです。
「ごめんください」
子供たちが叫んでも、返答はありませんでした。
家の横に回ると、恐らく台所であろうところの窓は、大きく割れたままです。

少年たちがガヤガヤしているところに、新聞配達の青年がやってきました。
彼は、その村で新聞配達をしながら、市内の大学に通う苦学生です。
事情を聞いた青年が、玄関を見てみると、昨日の夕刊がそのままになっています。
その家には、老夫婦が2人で住んでいました。
これまでにも、2人で県外の温泉などに出かけることはありました。
そんな時には、必ず新聞をその間は止めるように依頼がありました。
まだその家に電話はなく、夫が長い距離を自転車でわざわざ販売所まで訪れていたのを覚えています。

青年は、不吉なものを感じたのか、駐在所に知らせました。
警官と青年とで、玄関をこじ開けて中に入りました。
閉め切られた家の中は、夏の熱気がこもって息苦しいくらいです。
西日がさす中を、汗を拭きながら家中を探しましたが、2人の姿はありません。
どの部屋も綺麗に片付けられていました。
青年が、台所のテーブルの上に便箋を見つけました。

「あの子の元へ行きます」

遺書とも取れる文面に、2人は顔を見合わせ、それから首を傾げました。
老夫婦には、子供はなく、身よりもありません。
警官は、とりあえず、村長と青年団に連絡をして、付近を探すように依頼しました。
テーブルの下に転がっていた軟球は、少年たちに返されました。

2人がこの村にやってきたのは、戦後間もなくのことです。
その頃は、都会で家や家族を失い、また、進駐軍を恐れて田舎に逃れてくる人が少なからずいたものです。
彼らもそのような事情だと、村の人は多くを訪ねませんでした。
2人は村の生活に溶け込み、多くの行事にも積極的に関わりました。
夫は、役場で定年まで勤め上げたところでした。
同僚の話では、定年後は夫婦水入らずで、好きな温泉巡りをするのを楽しみにしていたようです。
また、子供が結婚したとか、孫ができたという話題の時には、自分のことのように喜んでいたそうです。

村の人たちによる捜索は1週間続きましたが、2人は見つかりませんでした。
その時点では、事件や事故につながる可能性は低いと見る者もいました。
ただ、手紙の文面だけが、人々の心に引っかかり続けました。

約2ヶ月後、2人は山中で、ほぼ白骨化した状態で発見されました。
隣町からキノコ刈りに来た中年の女性2人組が見つけたのです。
驚いたでしょうね。

2人のそばには、小さな穴が掘り返してあり、その中から、赤ん坊のものと思われる骨が見つかりました。
こちらは、さらに何十年も経過していたそうです。
もちろん、村の人たちは、手紙のことを思い出していました。

この村も今では、都会のベッドタウンとして開発され、当時のことを知る人はほとんどいなくなりました。
2人の家があったところも、人々の記憶から消えようとしています。
あの山も、今では高速道路が貫通しています。
残された手紙の行方は、その時の警官がどうしたのか、今となってはわかりません。
まあ、それがあったとて。

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