名実況は名句になる
植草貞夫さんをご存知だろうか。
元朝日放送のアナウンサー。
高校野球の実況では数々の名実況を残してきた方だ。
高校野球中継がNHKしかない可哀想な地方の方はご存知ないかもしないが、それでも、
「甲子園は清原のためにあるのか!」
くらいは、耳にしたことがあるだろう。
あ、ここで可哀想と言ったのは、変な意味ではなくて、何が変なのかはわからないが、この記事のことだ。
さて、その植草貞夫さんの名実況のなかにこんなのがある。
「荒木大輔、鼻つまむ」
時は1982年夏。
甲子園の準々決勝、早稲田実業対池田高校。
早実のエースは荒木大輔。
一年生の夏にいきなり準優勝。
これが5回目の甲子園のマウンド。
注目は、荒木大輔対やまびこ打線。
結果は、14対2で池田高校の圧勝。
池田高校は結局この大会で優勝した。
この試合の1回の裏、池田高校の攻撃。
ワンアウト、ランナー1塁から、3番の江上がツーランホームラン。
初回からいきなりあの荒木大輔が打ち込まれる。
そこで、この名実況は生まれた。
「荒木大輔、鼻つまむ!」
荒木大輔は池田の打撃を見て、「とても勝てない」と思っていたらしい。
そこに、初回いきなりのホームラン。
「ああ、俺の夏はここで終わりか」
そんな、諦めやくやしさが入り混じっての、鼻をつまむ動作だったのではないか。
対する池田高校も、宿舎を出るときに帰り支度をしてこの試合に臨んでいたらしい。
お互いにリスペクトした中での対戦だった。
それにしても、この一瞬の動作を逃さずに伝えた植草貞夫さんの反射神経の素晴らしいこと。
「荒木大輔、鼻つまむ」
これだけで、高校野球ファンはあの試合を鮮やかに思い出すことができる。
試合経過やプレーを伝えるのは当たり前だが、こんなことまで伝えられるアナウンサーはそうそういるもんじゃない。
この「荒木大輔、鼻つまむ」
よく見ると、七音五音となっている。
と言うことは、これに季語をつければどうなるか。
甲子園大会は、暦の上では秋に行われるので、例えば、
秋風や荒木大輔鼻つまむ
どうだろうか。
なかなかいい感じ。
高校野球を詠んだ俳句は数あるだろうが、「鼻つまむ」こんな言葉は恐らくないだろう。
もちろん、これが句として成立するためには、問題は「荒木大輔」だ。
ある程度の年齢以上の方には何も問題はない。
「荒木大輔」、これだけで共有できるものはたくさんある。
しかし、それ以下の世代になると、
「誰やねん、それ」
では、「荒木大輔」を変えてみよう。
秋風や敗戦投手鼻つまむ
光景は少し変わってくる。
「荒木大輔」の場合には、打ち込まれてマウンド上で立ち尽くす姿。
「敗戦投手」となると、試合後の挨拶も終わりベンチに引き上げるところ、あるいはサヨナラヒットを打たれてマウンドを降りる瞬間、そんなところだ。
それでも、よほどの俳句の名人でも投手が鼻をつまんだその一瞬を逃さずに詠むことは難しいのではないだろうか。
「冴えかへるもののひとつに夜の鼻」など、鼻をたくさん詠んだ加藤楸邨であったとしても、どうだろう。
優れた実況アナウンサーの一瞬一瞬を伝える技術は、俳句にも活かせるのではないか。
昔の新人アナウンサーは、走る列車の窓から外の景色を実況中継して、訓練したという。
見たもの、考えたことを瞬時に言葉にする訓練。
しかも聞いた人に伝わるように。
そんな練習は、俳句の上達にも繋がるかもしれない。
ちなみに、
「甲子園は清原のためにあるのか」
これも、前後を入れ替えると、
「清原のためにあるのか甲子園」
無季定型。
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