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『償いの君に』
僕たちが出会ったのは新宿の喫茶店だった。
大学に入ったばかりの僕は、先輩と相談して同人誌のメンバーを募集した。
ぴあの欄外に載った小さな告知に君は応募してきたのだ。
当日は確か10人ほどがその喫茶店に集まった。
学生もいたし、社会人もいた。
君があの大学病院で働く女医だと名乗った時には、みんなおっという顔をしていたよ。
お互いに好きな作家とか、詩人とかを紹介してその日は解散した。
その数日後、神保町の書店で僕は本を探していた。
綺麗な栞を挟んでくれるその書店がお気に入りだということは、多分あの日に話していたと思う。
声をかけてきたのは君からだった。
偶然だったとしても、何も不思議ではない。
君の勤務先は、お茶の水の近くだったのだから。
それを世間が逆援助交際などと呼ぶようになったのは、あれからもう少ししてからだった。
それにその時にはそんな意識などなかった。
お金を払うのは、いつも君だったけれども。
せめてアルバイト代が入った日には支払おうとしたが、あなたは学生だからと君は言った。
女医ってのは儲かるんだなと、僕も冗談で返した。
君と街を歩きながら、僕は同級生よりもずいぶん大人になったもんだと得意がっていた。
クラスメイトと出会うと、君はいつも強く腕を組んできた。
君のことを、かわいいやつだなんて思ったりもしたんだよ。
僕よりもずっと大人だった君のことを。
渋谷の映画館でヒッチコック特集の2本立てを見た後、君は言った。
スクランブル交差点を渡りながら。
あの頃はまだ、早足で人をよけなくても、ゆっくり話をしなが渡ることができた。
「いっしょに暮らさない?」
僕に反対する理由などなかった。
ただ、どこで? という言葉は飲み込んだ。
僕の部屋では狭すぎるし、それまで君の部屋に行ったことはなかった。
その日は夜勤だという君と別れ、それが君との最後の会話になった。
僕がそのことを知ったのは、翌日、学食のテレビから流れるニュースでだった。
時が止まるとよくいうが、本当にあるんだと思った。
テレビの話題が変わっても、僕は画面を見つめたままだった。
女医なんかではなく、普通の家庭の主婦だった君が、僕のために犯した罪。
それはあまりにも重かった。
時が経った。失ったものと、取り戻したものを天秤にかける毎日。
あの時の僕は、二十歳だったんだよ。
今日償いを終える君に言いたい。
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