『未来から来た嫌なやつ』
そもそも僕は人生に絶望していた。
ほとほと生きるのが嫌になっていた。
こんなことを言うともう長年この世界にいるように思われるかもしれないけど、まだ17年しか生きていない。
何を生意気なことをと言われるかもしれない。
でも、絶望するのに年齢制限なんかないはずだ。
そんなことを言うのなら、もっとマシな人生を用意してくれてもよかったんじゃないのか。
高校受験には失敗して、第3志望の学校に通っている。
それも、もともとは第5、第6志望だったものを、教師のアドバイスで第3志望に繰り上げた学校だ。
運動神経は皆無で、背も低く、これまで彼女ができたことはない。
引っ込み思案で無口で、軽口のひとつも叩けない、だから友達もいない。
ならばと、小説を書いて華々しく高校生作家としてデビューしようとたくらんだけれども、応募した小説はことごとく落選した。
一次選考にも引っかからない。
この先、僕の人生に何がある。
何もない。
無、すなわち絶望だ。
かくなる上は、死あるのみ。
もちろん死ぬ方法はいろいろあるが、この部屋で親にも知られずに死ぬとなると、とりあえずは手首だ。
その日、仮病を使って学校を休んだ僕は、家族が出かけるのを待って起き出した。
さあ、今から死ぬぞ。
僕が引き出しの中にあったはずのカッターをゴソゴソと探していると、後ろで笑い声がした。
「これを探してるんだろ」
驚いて振り向くと、見たこともないオッサンが立っていた。
「え、誰、どこから?」
「誰ってことはないだろう」
見たところ、歳は40くらいか。
身長は僕とあまり変わらない。
ボサボサの髪の毛は、てっぺんが薄くなりかけている。
薄汚れたジャケットに、くたびれたジーンズ。
そして、手には僕が探していたカッターナイフ。
「おじさん、誰なんだよ」
「だから、俺だよ、俺」
「知らないよ、それにどこから来たんだよ」
そう言いながらも、僕は逃げ出す方法を考えていた。
知らないオジサンが、勝手に人の部屋に入ってきて、しかもカッターナイフを持っているんだ。
「仕方がない、教えてやるよ」
そいつは、あぐらをかいて座った。
「よいしょっと」
そして、カッターナイフを横にあった雑誌の山に突き立てた。
正確には、突き立てようとした。
雑誌の表紙は意外に固くて、カッターは先端の刃を折られて横倒しになった。
「けっ、くそ。まあいいや、言うぞ、俺はな」
「おじさんは?」
「俺はお前だ」
「えっ」
「だから、俺はお前だ。正確にいうと、今から25年と3ヶ月未来のお前だ」
言われてみれば、と僕はオッサンの顔をよく見てみた。
一重の釣り上がった、陰険そうな細いめ。
団子っ鼻。
口角の下がった、不満そうな口。
その周囲には無精髭。
「つまり」と僕も腰を下ろした。
「25年後には、人類はタイムマシンを発明しているってことだね」
「難しいことは、どうでもいいんだよ」
そうか。
「わかった。おじさん、つまり、これはよくあるやつだよね。未来の僕が、クヨクヨしている現在の僕の前に現れて、『大丈夫だよ』って励ましてくれるやつ。最近は、やたらとそんな小説や映画が多いけど。そうか、こういうことなんだ」
「お前、なんか勘違いしてないか」
オッサンはぐいと額を僕の方に近づけた。
「俺はな、お前から金をふんだくりに来たんだ。そもそも、お前が人を励ますような人間か。人の不幸を喜んでばかりで、友達もいないお前が、どうして、大人になってわざわざ自分を励まそうとするんだよ。馬鹿じゃねえのか。お前の成れの果てがこの俺だ。よく見ろ、俺が『大丈夫だよ』って言って信じるのか。やい、金を出せ」
「そんな言い方はないだろう」
僕は、この会話を聴かれたくなくて、立ち上がって窓を閉めた。
「それに、金なんてないよ」
「さっさと出せ。俺は知ってるぞ、そこの引き出しの奥に入ってるのを」
「金なんかないよ」
オッサンは、立ち上がると部屋の中を歩き始めた。
「ははーん。手荒なことはしたくないんだ、何たってお前は可愛い、俺からすれば過去の俺なんだからな」
そして、机の上のノートパソコンを開いた。
「リモート学習のためだとか言って買ってもらったこのパソコン、お前はアダルトサイトばっかり毎晩見まくっているよな。しかも、俺が口にするのも恥ずかしい変態なやつを。そして」
オッサンは、本棚に並んだハードカバーの本を床に放り投げた。
奥から、エロ雑誌が出てきた。
「ほら、これはなんだ」
僕は慌ててその雑誌を抱え込んだ。
「極め付けはな、お前、時々放課後の教室に忍び込んで、優香ちゃんのリコーダーをぺろぺろと…」
「やめてくれー」
「ほらな、未来の俺は、過去のお前の嫌なこと、恥ずかしいこと、お前がどんなに人でなしな奴か、全部知ってるのさ。何なら、今からそのパソコンでネットに書き込んでやってもいいぜ。嫌なら、金を出すんだな」
「ああー、やっぱり死にたい」
僕は、俯いて座り込んだ。
僕が、僕の前で恥ずかしくて、悔しくて、自分の未来の僕の顔をまともに見られないなんて。
物語の中に出てくる未来の自分はいい人ばかりだけれども、考えてみれば、そんなはずはない。
こんな、嫌なやつだっているんだ。
でも、そうだ、未来の僕なら、今の僕に金なんかないことを知ってるはずだ。
「ねえ、おじさんが未来から来たのなら、今の僕がお金なんか持ってないことも知ってるはずだよね」
「いや、お前は昨日、親の財布から、10万円、さらに、クソなお前は妹の貯金箱からも2万円を盗み出しているはずだ。それを持って家出をしようとしたんだけれども、結局そんな勇気もなく、またまた死のうとしているところに、この俺が現れたってわけだ。だから、早く出せ」
「何だか、10代半ばにして、クソ惨めな様子だけど、僕は昨日そんなことはしてないよ」
「何だと、もしかして…おい、今日は何年何月何日だ」
僕が今日の日付を教えると、
「あー、やっちまったよ」
「どうしたの」
「間違ったんだ」
「何を」
「戻る日をさ。クソなお前は、何度も死のうとするもんだから、わからなくなって、戻る日を間違えたんだ。ちくしょー」
オッサンは自分の拳で自分の頬を殴った。
「何だかさあ、僕っていうか、僕たちっていうか、大人になってもパッとしない人生みたいだね」
「うるせえ。言っといてやるよ。お前は、一週間後も死にたくなって、でも死ねなくて、次の日に親と妹から金を盗んで、でも結局死のうとするんだが死にきれずに、そこから金を盗むことを覚えて、今よりももっとクソな人生を歩んでいくんだ」
「それって、もう、人生のネタバレじゃないか」
「そう、お前は25年後、42歳になっても、独身で、コソ泥で、詐欺師で、やばい借金にまみれて、もうどうにもならずに、過去の自分を脅して金を奪うようになるのさ」
「それって、タイムマシーンの悪用じゃないの。多分、使用上の注意に書かれてるよ。でも、それがわかった僕が、もう親と妹からお金を盗まなかったらどうなるの」
「そんな難しいこと、わからねえよ。俺は、お前のクソな未来の俺としてもう存在しちゃってるから、お前が金を盗まなかったら、多分そこから、お前の人生は枝分かれしていくんじゃないのか」
「そんな映画見たことあるなあ。ほんとかなあ。でも、そうだとしたら、僕のクソな人生も、少しはマシになるかもしれないってことだね」
「少しはな。しかし、俺たち、性根が腐っているから、どうだか。とにかく、俺は出直してくるわ。金、用意しとけよ」
「でも、その時におじさんが出会うのは、それは僕じゃないかもしれないね。おじさんの過去の僕とは、ここでお別れかもしれないよ」
「ややこしいから、もういいよ。それと、俺のこと、面白がって小説なんかに書くんじゃないぞ。まあ、そんなもの誰も読まないけどな」
オッサンはドアの方に歩き出した。
「あっ、これもらってくぜ」
カッターナイフを胸ポケットに差し込むと、
「もうひとつ、教えておいてやるよ。こんな人生だけどな、いちばん思い出すのは、何度も死にたくなって死にきれずにあがいている、今のお前だよ」
オッサンは、ドアと柱の隙間に煙のように消えた。
僕は、慌ててドアを開けてみたが、そこには何もない。
部屋のカーテンを開けると、折れたカッターの刃が床で光った。
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