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翳りゆく未来に向かって、老人の少し長い独り言

今朝の読売新聞朝刊の一面トップの見出しは、
「人口 70年に8700万人 
 3割減推定 外国人1割超
 出生率下方修正」
と並んでいる。

2070年というと、今から47年後。
僕は多分死んでいる。
生きていても、110歳。
さすがにその年で生きていたとしても、誰かに食わせてもらっているだろうから、社会がどうなっていようと、景気がどうなっていようと、直接は関係ない。
どうでもいい。
いや、この国の未来を、若者の将来をなどと、心にもないことを言っていい人ぶったりもしたくない。

ただ、しかしだ。
ある日突然2070年になって、ある日突然人口が3割減るわけではない。
47年をかけて、少しずつ減っていく。
そして、少しずつ高齢者の割合が増えていく。
途中で、僕もだんだん息苦しくなってくるかもしれない。
そう考えると、あながち無関係とも言えなくなる。

政府は今年、「異次元の少子化対策」なるものを打ち出した。
あれが異次元というのなら、今の次元も甘く見られたものだと思うのだけれども。
その内容に関しては、ほとんどが少子化対策ではなくて、子育て支援だ。
もちろん、子育て支援が無駄ではないが、本来の少子化対策は、
・増子化政策
・子育て支援と高齢者支援
・人口減少対策
この3つを並行して進めるべきものだと思う。

しかし、聞こえてくるのは子育て支援の話ばかり。
今の日本では、結婚してから子供を産むという考えが一般的だ。
すると子供を増やそうと思えば、まずは結婚してもらわないといけない。
出産一時金がもらえるから結婚しよう。
育児手当がもらえるので僕と結婚してください。
そんなプロポーズは嫌だ。
それに、そんなことで生まれた子供が幸福だとは思えない。
順序が逆だと思うが、それに対する政策がほとんどない。
なぜ、結婚しないのか。
その原因は何だろうか。
この国の将来に夢を描けないのか。
経済的な問題なのか。
出会いの場がないのか。
ひとりの生活でみんな十分に満たされてしまっているのか。
経済的な問題に関しては、政府の音頭取りで初任給も含めた給与をアップする企業が増えた。
しかし、それもほとんどが大企業であり、しかも今年上がったからといって来年以降はどうなるのかがわからない。
まずは、子育て以前の、結婚数をどのようにして増やしていくのか、そのための政策とビジョンを示すべきだ。
総理自ら、
「国民の皆さん、愛するって素晴らしいですよ。愛する人とともに暮らすって言うのは、こんなに楽しいことなんですよ」
と語って欲しいけど、多分やらない、絶対やらない。
それに、あまりこうしたことを言い過ぎると、ひとりじゃだめなのかと言い出す人が必ずいるのでなかなか難しい。

また、子育て支援は必ず高齢者支援とセットで行うべきだと思う。
でないと、若者と高齢者の間の確執はますます深まっていくばかりだ。
例えば今回の健康保険法の改正。
75歳以上の負担を増やして、それを出産育児一時金に回すというもの。
まあ、子育て支援に文句は言えないからみんな黙っているのだろうが、高齢者のほとんどは、本音では「何でやねん」と思っているだろう。
子育て支援は国の発展のために必要なんだから黙っていろと言うのは、戦時中と変わらない。
これは、逆の場合も同じだ。
だから、両者の支援を並行して進めないと対立が深まってしまう。
政府は、年金の支給開始を遅らせて、企業には定年を延長させようとしているが、これもどうなのか。
高齢者がいつまでも企業にのさばって、若者の働く場を奪っているとは既によく言われている。
それならば、政府は逆に、高齢者にはいかに早く退職してもらって若者にその場を譲ってもらうか、そのために高齢者にはどのような支援をするのか、それを考えるべきだと思うのだけれども。

そして人口問題。
本来はこれがメインであるべきだ。
これから子育て支援、増子化政策を実行したとして、それで本当に人口は増えていくのか。
増えるとして、一体何年後、何十年後からなのか
「異次元の少子化対策」の見本としてよく取り上げられるフランスにしても、もともとそれ以前から人口そのものは減少してはいなかった。
むしろ、ずっと微量ながら増加はしている。
その原因は移民の増加にあるという。
もしかすると、むしろ少子化対策と人口問題は切り離して考えるべき問題なのかもしれない。
これから、人口は、どう足掻こうが減少していく。
高齢者の割合が増えて、労働人口が減少していく。
その時に、この国をどうするのか、少ない人口でどのような社会をつくっていくのか。
外国人の方々にどのように働いてもらうのか。
読売新聞の記事によると、島根県出雲市の人口は、現在約17万人で10年前と変わらないが、外国人はこの10年で約2.4倍の4400人に増えている。
その外国人の7割がブラジル国籍で、多くが市内の大手電子部品製造会社の工場で働いているという。
今の人口と今の経済規模を維持しようと思えば、国レベルでこのようなことを考えるしかないのではないか。
とにかく、将来この国をどのようにデザインしていくのか。
まずは、そのビジョンを政府は示すべきなのだけれども、一向にそんな気配はない。

47年後に人口が8700万人になるということは、今の人口から約4000万人の減少、つまり、東京都、神奈川県、愛知県、大阪府の人たちががまるまるいなくなってしまうことだ。
しかも、その8700万人のうちの1割は外国人が占めているという計算だから、日本人だけで考えると、さらに京都府民と福岡県民もいなくなってしまう。
日本はもう、スカスカやん。
ディズニーランド、待ち時間なしやん。
人口だけで見ると、1960年あたりと変わらないが、構成が全く違う。
1960年当時は、生産年齢人口が約70%、高齢者人口が7%だった。
それが、2070年には、生産年齢人口が約52%、高齢者人口はなんと約38%になる。
そう思うと、これは何をおいても取り組まなければならない問題であるはずだ。

振り返ってみると、日本の特殊出生率は1975年に2.0を割ったあたりから減少を続けている。
もしこの時に、対策をとっていればどうだっただろうか。
しかし、現実には、日本はそこからの15年間、バブルに向けて浮かれていったのだ。
誰も、この国の将来を憂えたりはしなかった。

氷河期はある日突然襲ってくるのではない。
10万年くらいの長い年月をかけて、少しずつ少しずつ、生物が気づくことのない速度で進んでいく。
そして、ある日、どこかの段階で耐えられなくなるのだ。
あの時に、気がついていればと思った時には、もう遅い。
その時になってどんな手を打ったとしても、それは、滅亡をほんの数分遅らせるくらいの効果しかないのかもしれない。

でも、これまでにも、かつて誰も考えなかったことを発明し、実行して、生き延びてきた人類だ。
日本人も同じ人類であるならば、例外ではないだろう。
いつか、とんでもない「かしこ(標準語で言うところの賢いこと、または賢い人)」が現れて、何とかしてくれる。
そう、僕は信じている。

「あんたはいっつも他力本願で、何でも人まかせや」
と妻は言います。

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