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『あの世から来た男』

ベンチに座っていると、突然両足の間から顔が現れた。
「うわ」
「いや、そこはあっと驚くためゴローじゃないと」
そう言いながら、男はベンチの下から這い出してきた。
「よっこいしょ」
男は、長髪に細いバンドを巻き、もみあげからあご、鼻の下まで濃いひげに覆われている。
派手な服装で、上着の袖と、スボンの裾がラッパのように広がっているが、清潔感は一切ない。
どう見ても小さすぎる丸メガネが鼻の上にちょこんと乗っている。
隣に強引に腰を下ろすと、
「ねえ、あの世に来ないかい」
ドキッとした。
何だか、こんな浮浪者みたいなのに、胸の内を見透かさせれたことが癪だった。

会社には、ここ数日、体調不良を理由に行っていない。
同僚3人の内、2名がこの春に昇格した。
実力主義の会社だから、仕方のないことではある。
でも、そう割り切るのは、思っていたよりも難しかった。
そのイライラが家庭でも出てしまい、妻にあたることが多くなった。
妻は幼い息子とともに実家に帰っている。
人生をリセットできないかなあ。
それが無理なら、楽に終わらせる方法はないかなあ。
そんなことを、この公園のベンチで考えていたのだ。

「ねえ、あの世に来てよ」
男は繰り返した。
「あの世って、この公園で寝泊まりすること?」
「あ、なんか勘違いしてるね。人を見た目で判断するタイプ? いたいた、ボクがこの世にいた頃にもね」
「でも、あの世って、本当にあるかどうか」
「あるよ」
話し方からすると、男は案外若いのかもしれない。
「あの世はあるよ。だって、ボクがそこから来たんだからね」
「でも、あの世に行くには…」
「もちろん、この世では死んでもらわないとね。でも、あの世があるってわかれば、怖くないよ」
「でも、死んでから、やっぱりなかったってことになると」
「あはは、面白いことを言うね。そんなコント見たことあるよ。でも、それはネタで、あの世はあるんだよ。でも、あの世もね、最近は高齢者が増えちゃってね。もちろん、この世で高齢者が増えれば、それだけ亡くなる高齢者も増えるわけで、それがみんなあの世にやってくるんだ。わかりきった話。で、若い人をスカウトしに来たんだよ」
「でも、生まれ変わったり…」
「あんなのは嘘さ。それにだよ、生まれ変わったって、生まれ変わりましたってわからなければ、意味ないじゃん。あの世は、違うよ。みんな、ここがあの世だと知っているからね。あの世では歳は取らないんだ。やってきた時のまま。だから、来るなら、早いほうがいいよ」
「やっぱり働いたりするのかな」
「そんなことしないさ。何もしない。だから、悩みとかないよ。進歩もないし、向上心もない。でも、落ち込むとかもないからね。羨むとか、恨むとか、憎むとか憎まれるとかもないよ。何もしないんだ。天国良いとこ、一度はおいでって、聞いたことあるでしょ」
「いや、それは」
「ないかあ。酒は美味いけど、ねえちゃんは綺麗とは限らないよってオチなんだけどね。残念」
「何もしないのか」
「そう、芸術もないよ。感動も落胆もないよ。あのピカソも、ゴッホもこっちに来てからは一枚も書いていないしね。爆発だーの岡本太郎も、もう爆発なんかしない。でも、みんな楽しそうにやってるよ」
「何もしなくて、何が楽しいのかな」
「そうだなあ、休みの日に、仕事だと思って目が覚めて、今日は休みかあともう一度寝る時の気持ち? 今日みたいな天気のいい日にビールを飲んでプファーとやった時の感じ? そんなのがずっと続いているんだよ。わかるかな」

男はそれからも、あの世がいかに何もしなくて楽しいかを話し続けた。
日が落ちてきて、少し考えさせてくれと言うと、
「じゃあ、また来るからね」
手を振って、夕闇の中に消えていった。

翌朝、目が覚めると、すっかり日が高かった。
寝過ごした! 会社に連絡しないと。
しかし、そのままカーテンの隙間から見える青空を眺めていた。
何もしない、か。
昨日の男の話を考えていた。
あの世が、確実にあるのならなあ。
ふと枕元の携帯を見ると、メッセージが入っている。
昇格した同僚のひとりからだ。
「お前が休んでるって聞いて、連絡した。大丈夫か。奥さんいるから大丈夫だろうけど。とりあえず、今日の帰りに寄るよ。仕事で、教えてほしいこともあるしね。もし都合が悪ければ知らせてくれ」
読んでいる途中に、もう一件メッセージが入った。
妻からだ。
「ケンタが熱出したから、そっちの行きつけのところで診てほしいので、とりあえず帰ります」
とりあえずって、どういうことだろう。
そうか、えっと、あいつが来ることを伝えないとな。
でも、謝る方が先か。
いや、その前に会社に電話か。
でも、あの世に行くんだっけ。
ええっと、どうしよう。
突然窓が開いて、昨日の男が入ってきた。
「よっこいしょ」
土足のままだ。
「おはよう」
「ああ、おはよう。あのう、靴は脱い…」
「なんか、大変そうだね。鼻血ブーかな。どうする? 」
「鼻血?」
思わず鼻の下を触る。
何ともない。
「あっちはいつでも来られるから、もう少し、こっちでやってみる? 」
「えっ」
「でも、あの世があるって思うだけで、少しは気が楽になるでしょ。ボクたち、待ってるからね、何もしないけど。ボクなら大丈夫だよ、他をあたるから。じっと我慢の子であったってね」
「ところで、君はどうしてその歳であの世に?」
「それはね…いやいや、その手には乗らないよ。それはこの世では教えてはいけないルールなんだよ。ルールに理由なんかあるものか。こっちに来たら教えてあげるよ。じゃあね」
男は、やってきた窓ではなく、部屋を横切って玄関のほうに向かった。
「あの、そっちは…」
「あの世があると思って死んでみたら、やっぱりなかったりしてね。あははは、あのコント、ウケるね」
男が笑いながら玄関から出ていく音がした。
出てくるところと帰るところが違うのは昨日と同じだ。
床に足あとは残っていない。
あっ、そうだ、連絡、連絡。
慌てて、携帯を手に取った。

※タイトル画像は自作です。

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