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『古い新聞紙』 # シロクマ文芸部

「舞うイチゴ」
「読まなくていいって」
僕の声を無視して、ユミは読み続ける。
「県立東高校硬式野球部は創部以来30年間、夏の甲子園予選で一回戦敗退を続けてきたが、ようやくその厚い壁を乗り越えた。中学生の頃から東高校を勝たせようと誓い合ってきた、エースの高橋とサードの石田、背番号1と5が固く抱き合った」
「読まなくていいって、もう」
僕はユミの手から、新聞紙を取り返した。
破れないように慎重に。
何故なら、その新聞紙は、黄色く変色し、からからに乾いていたからだ。
見出しは、
「県立東、悲願の初勝利!」
その下に、背番号1の俺と背番号5の石田が抱き合って飛び上がっている写真。
「舞う『1』『5』」と説明がついている。
「この日の県立東の相手は…」
「おい」
「だって、そりゃあ、あれだけ何度も読めば覚えちゃうわよ」

試合の翌日、記事を見て驚いた。
「誓い合ったって、高橋、お前こんなこと言ったのかよ」
先に石田がくってかかる。
「俺じゃねえよ」
「それ、私」
話を聞いていたユミが割って入った。
「そういうマスコミへのリップサービスも、マネージャーの役目なのよ」
僕と石田は、確かに同じ中学だった。
しかし、この高校を勝たせようなどと誓いあったことなどない。
あいつがこの高校に来ることすら知らなかった。
あいつは、私立の強豪校にいくと聞いていたからだ。
その話が沙汰闇になったのが家庭の事情だと知ったのはずっと後のことだった。

「県立東の相手は甲子園出場経験もある城北商業。試合は両投手の投げ合いとなった」
ユミは記事の内容を暗唱し始めた。
「試合が動いたのは7回。県立東の攻撃は…」

僕と石田は、エースの座を争った。
僕が投げる時は、石田がサード。
石田が投げる時には、僕がサード。
ユミは、鉄壁のイチゴラインとからかった。
確かに、3塁前のゆるいごろは、マウンドから懸命に駆け下りて、ピッチャーゴロにした。
後ろであいつの舌打ちが聞こえた。
逆もまたしかりだ。
ユミも同じ中学からだが、3つ上の兄がヤンキーの親分格。
誰もユミには手を出さなかった。
兄も野球部で、卒業後もしょっちゅう仕事場の軽トラで乗りつけた。
「お前ら、レギュラーってのはな、腕づくでもぎとるもんだ」
最終的に、困った監督は、僕と石田にジャンケンをさせた。
勝った僕が、背番号1。

「背番号1を風になびかせて、県立東のエース高橋が9回裏のマウンド向かう。得点は1体0。キャッチャーの掛け声に両手をあげて、最後にサードの石田と視線を…」
ユミの記事の暗唱には、いつの頃からか、毎回、少しずつ創作が混じるようになっていた。
その時の僕が石田と視線を交わすはずがない。

卒業式の後、それぞれ進路の別れる僕たちは約束した。
ほとんどユミの提案だが。
50年後生きていたら、駅前の居酒屋で会いましょう。
そこがつぶれていても、その前で待っててよ。

「石田、来ないね」
「来ないね」
時間はとっくに過ぎている。
ユミは咳払いをして続けた。
「ツーアウトランナーなし。最後のバッターが放った打球はマウンドの高橋を襲った。高橋がグラブを差し出すがそれをはじいて、打球は3塁前へ」
あの頃の居酒屋ではないが、同じ場所だ。
きっと来ればわかるはず。
「3塁手の石田が猛然とダッシュ。素手でつかむと、そのまま倒れ込みながらの送球。際どいタイミングだったが、塁審のコールはアウト」
卒業から20年後に、僕とユミは結婚した。
お互いに再婚で、子供はどちらもいなかった。
石田の家はしばらく空き家だったが、いつの間にか取り壊されて、周辺の土地と合わせて大きなマンションがたった。
「県立東、初勝利の瞬間、エースの高橋と石田が抱き合ったまま何度も跳ねた」
あれは、もう嬉しくて、石田だか誰だかわからなかったのだ。
「背番号イチとゴが舞った」
その時、入り口のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
店員の威勢のいい声とは裏腹に、背中を丸めた老人が少し恥ずかしそうに立っている。
「多分、ゴが来たよ」
「多分、ゴが来たね」
僕は手元の新聞紙を畳んで顔の横に掲げた。
老人は、手にした紙袋から、これも古い新聞紙を取り出した。

あの時、ユミは同じ新聞紙を3部用意していた。
試合の翌日の新聞だ。
その時には私たち、もう皺くちゃになっているかもしれないから、これが目印よ。
だから、これは皺くちゃにしないでね。


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