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あの頃の未来はどこに?

小学生の頃、小学館より「小学一年生」から「小学六年生」まで学年ごとの雑誌が発行されていた。
それを6年間とっていた。
今は「小学一年生」以外は廃刊のようだ。

あ、「とる」って、死語?
昔、と言っても想像を超える50年くらい昔は今のような大型書店は少なく、町の小さな書店、というよりも本屋さんがたくさんあった。
そこで月刊誌などの定期購読を申し込むと、本屋さんのおじさんが車やバイクで各家庭に毎月届けてくれた。
今はもうないだろう。
そもそも、町の本屋さんが絶滅寸前。

ちなみに小学館の雑誌は中学生になると、学研のコース派と旺文社の時代派に分かれることになる。
僕は、旺文社の中一時代を予約して万年筆をもらった。
ここに学研の雑誌、学習と科学が加わると、おじさん、おばさんは震えるほど懐かしい話で盛り上がる。

ここでの話はそういうことではなくて。
話を小学館の雑誌に戻す。

小学館の雑誌に未来の生活のようなものがイラストでよく掲載されていた。
そこでは、生活する都市はドームのようなもので覆われた全天候型。
住居は外観はコンテナのような形だが、その中は住みやすく区分けされている。
子供部屋も兄弟姉妹の数だけ用意されている。
僕たちの学校だけでなく、お父さん、お母さんの仕事や買い物、レクリエーションなどは、かなり身近な範囲で済ませることができる。
場合によっては巨大な超高層ビルの中に住居をはじめとして全ての施設がおさまっている。
移動する乗り物は、もちろん無人の全自動。

時には、宇宙ステーションなどに住んでいることもある。
そして、共通しているのは僕たちも、お父さんも、お母さんも、隣のおじさんも、おばさんも、お兄さんも、お姉さんも、みんな幸せそうな笑顔で溢れていることだ。

こんな未来であなたたちは暮らすのですよ。

でも、そんな未来は来なかった。
少なくとも僕の生きている間はまず来ない。

来ないはずだ。

あの未来のイラストを見て思い描いた生活の中でも、僕たちは子供のままだった。
未来である以上、僕たちは少なくともお父さん、お母さん、あるいはおじさん、おばさんになっていなければならない。
つまり、あのイラストに描かれている、お父さん、お母さん、おじさん、おばさんこそ、僕たちの未来の姿だった。

それなのに僕たちは、あの未来も大人が作ってくれると思い込んでいた。

こんな未来であなたたちは暮らすのですよ。
そして、これを今から作っていくのはお父さんでもお母さんでもなく、あなたたちですよ。

本当のメッセージはこうだったのだ。


でも、想像を遥かに超えて変わってきたものもある。

インターネットなどはほんの30年くらい前は、ここまで発達するとは想像もできなかった。
未来のイラストに描かれていた在宅勤務などは、すでに実現している。
携帯電話もそうだ。
これほどの速さで普及するなんて思いもしなかった。
しかも、今やスマートホン、手のひらにパソコンがある。
腕時計で会話をするなんて、ジャイアントロボの世界だった。

もちろん、あの頃の未来にはまだまだほど遠い。
しかし、ひとつひとつのアイテムは確実に近づいている。
その歩みはバラバラだとしても。

人間の進化も退化も一夜にして変わるものではない。
それは、革命とは違う。
少しずつ、時には何千年、何万年かけて変わってきたものもあるだろう。

あの頃の未来も、もしかするとそれくらいの年月をかけてやってくるのかもしれない。
あのイラストの中に僕たちは既にいなかったのかもしれない。

僕たちにできるのは、せめてあのイラストを語り継いでいくことくらいなのかもしれない。
この未来を作るのはあなたたちですよと。
あるいは、この未来をあなたたちも語り継いでくださいよと。

しかし、今、あんなに楽しい未来を語る大人が絶滅しつつある。













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