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『1月のその夜のこと』

「何で止まるんだよ」
「赤信号ですから」
「ったくよー」
彼はルームミラー越しに若い客を盗み見た。
金髪のリーゼントにサングラス。
派手な刺繍模様の羽織袴。
客はスマートフォンで誰かとやり合いながら、しきりに急がせる。
その日の出庫前の点呼でも所長が言っていた。
「今日はそんな式典に参加するお客様が多いと思うので、場所を間違えたり、遅れたりしないように。ご本人にとっても、親御さんにとっても一生に一度のことですから」
そう言われて、事前に会場などはチェックしていた。
しかし、どんなに急いでも、抜け道を使っても、20分かかるところを5分で行くのは無理だ。
しかも、朝のただでさえ混雑する時間帯に。
それなら、もっと早くタクシーに乗られればよかったのでは。こんな日こそ、余裕を見るのが常識でしょ。
そう言いたかったが、喉元で飲み込んだ。
とにかく、平身低頭、急ぐしかない。
車線を細かく変更しながら、少しでも急いでいますよという雰囲気も作っておく。
ただ、気をつけないといけないのは、最近は少し乱暴な運転をすると、すぐに乗客のスマートフォンや周囲の車のドライブレコーダーに撮られて広められてしまう。
そこまでは行かなくても、会社にクレームの電話が入る。
「この動画を拡散してもいいのか」
慎重に確認しながら、後部座席にだけ振動が伝わるようにハンドルを切る。
それくらいのテクニックは、長年の経験で身につけている。
しかし、それでも前が詰まれば仕方がない。
「おい、急げよ。今日が何の日か知ってるか。俺の一生一代の晴れ舞台なんだよ」
これが一生一代とは、結構ちっぽけな一生じゃないですか。成人式に遅れて、一生を棒に振った人なんていませんよ。
それもグッと飲み込むと、前の車が動き出した。
「お客さん、あと5分くらいでつきますよ」
ルームミラーを見ると、いつの間にか、客の左手には指輪ケースが握りしめられている。
そりゃ、一生一代だ。

彼女は、またスマートフォンを取り出して時間を見た。
タクシーが止まるたびに、今度こそと思って駆け寄りそうになるが、降りてくるのは別人だった。
彼から、家を出るのが遅れたとメッセージが入っていたが、ここまでギリギリになるとは思わなかった。
何度か、タクシーの車内から現在地が送られてきた。
自分は普段車に乗らないので、そこからどれくらいかかるのかわからない。
会場の入り口で、もう何人も懐かしい友人に声をかけられた。
中には、もう顔と名前が結びつかない友人もいる。
それでも、相手が覚えていてくれるのは嬉しいものだった。
みんな、自分と同じように綺麗に着飾っている。
何故だろう。
彼女の場合には、その理由ははっきりしていた。
彼のため。
久しぶりに会う彼に見てほしいため。
彼とは、小学校からの幼馴染だった。
2人とも勉強がよくできて、いつも1番2番を争っていた。
だから、周囲は彼らはライバルだと見ていた。
でも、実際には本人たちは、そんなことを考えたこともなかった。
いっしょに勉強することもよくあった。
中学校に入ってもそれは変わらなかった。
2人とも生徒会の委員も勤めて、周囲からも認められる仲になっていた。
しかし、高校に入ってから一変した。
変わったのは彼だ。
学校に来なくなった。
何があったのかはわからない。
学校でいじめられていたこともない。
家庭の環境が変わったこともない。
何度も家を訪ねたが、彼は出てこなかった。
いつもお母さんが申し訳なさそうに頭を下げるばかり。
何とか、彼とスマートフォンでメッセージのやり取りができるようになったのは、卒業を間近に控えた頃だった。
地元の金融機関に就職してからも、毎日メッセージを送り続けた。
返事が来なくても気にしなかった。
自分の言葉が、彼の唯一の窓になればいい。
次第に短い返信が来るようになる。
そして、成人式に向けて、何度も何度も説得した。
俺、あの頃から変わってるからわかるかな。
絶対にわかる。
また時間を確かめる。
もう始まってしまう。
1台のタクシーがタイヤを軋ませて止まった。
彼だ。
ドアが開き、金髪の男が降りてくる。
彼女は諦めて会場の入り口に向かった。
スマートフォンがメッセージを受信した。

あの日、無理にでも学校に行かせていれば。
何度、そう考えたことだろう。
息子が高校2年になってすぐの頃、まだ春の気配が残る朝。
いつもは自分で起きてくる息子がなかなか下りてこない。
階段をわざと足音を立てて登る。
一応形だけのノックをしてドアを開けると、息子はまだベッドの上で布団にくるまれていた。
「どうしたの」
「行きたくない」
これまで休んだことなどなかった。
だから、よほど体調でもよくないのだろうと思った。
「熱は」
「ない」
そんなやりとりの後、どうしても休むというので彼女は学校に連絡を入れた。
その朝以来、息子はトイレの時以外は部屋から出てこなくなった。
食事も部屋で済ませる。
夫と2人で強硬にドアを開けさせたこともある。
しかし、息子は何も語ろうとはしなかった。
何があったのか。どうして欲しいのか。どうしたいのか。
学校はもちろんだが、いろんなところに相談にも行った。
しかし、どれひとつとして解決には繋がらなかった。
近くの幼い頃から親しい女の子が何度も訪ねてくれたが、変わらなかった。
何とか、その子とスマートフォンでのやり取りだけはするようになった。
少しすると、その子がやってきては、時々、息子とのやりとりを見せてくれるようになった。
そして、その度に彼女は大きなため息をついた。
それは、息子がまだ少しでもコミュニケーションを取ることができるという安堵のため息でもあった。
また、あの朝を思い出してのものでもあった。
あの朝、もし叩き起こしてでも学校に行かせていれば、何かが変わっていただろうか。
だが、そんな後悔ももう終わるかもれない。
あの女の子が、息子を成人式に誘ってくれたのだ。
息子を玄関から送り出したのは何年振りだっただろう。
時計を見た。
もう式は始まっている。
会場に行けば、他にも懐かしい友だちに会うだろう。
そうすれば…
その時、玄関のドアが開いた。
驚いて駆けて出ると、息子がうつむいて立っていた。

会場の席についてメッセージを見る。
「やっぱり、無理。でも、今夜、2人で会えるかな」
彼女は思わず出そうになる笑い声を抑えて返信した。
その夜、その街の駅にほど近い店。
「それは盛り上がっただろうね」
彼女は、式典での出来事を彼に話していた。
既に、いつものセーターとジーンズに着替えている。
来賓の挨拶がひと通り終わったところで、金髪の羽織袴の男が舞台に駆け上がった。
男がある名前を叫ぶと、1人の女性が立ち上がった。
男は指輪の箱を取り出すと、片膝をついてパカっとその蓋を開けた。
女の子はゆっくり舞台に上がり、恥ずかしそうにそれを受け取った。
会場は歓声と口笛と拍手で沸き返った。
「でも、そんなこと、僕にはできないな」
「気持ちの伝え方は、いろいろあるからね。あっ、そうだ」
彼女は自分の着飾った写真を彼に見せた。

最後の客が帰った後のテーブルを片付けながら、彼女は考えていた。
不思議な2人だったな。
久しぶりに再会したように何となくぎこちなくて、でも毎日会ってるように親しそうで。恋人のようだけど、そうじゃないみたいだし。まあ、いいか。
食器とグラスをトレーにのせてカウンターに運んだ。
「ありがとう。助かったわ」
ママが洗い物をしながら声をかけてくる。
「疲れたでしょ。もう、あとはやっとくから」
「ありがとうございます」
普段はそんなに忙しくなることはないが、この日だけは成人式帰りの若者でいっぱいになる。
そんな客も引き上げて、もう今日は終わりかと思っていたところに最後の客がやってきたのだ。
彼らも、もしかしたら成人式の後なのかもしれないな。
別にみんなが着飾って出席するわけでもないし。
彼女はエプロンを畳んでカウンターに置くと、ママに挨拶をして店を出た。
外の空気は冷たかったが、それが不思議に心地よかった。
ママは今日は来なくていいと言っていた。
「あなたも成人式でしょ」
「いいんです。忙しいでしょうから。そのかわり、時給アップしてくださいね」
夜道を歩きながら、いつものように考えた。
この道をまっすぐ歩けばふるさとなんだ。
そして、いつもの道を曲がった。

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