『セントルイス・ブルースの流れるバーで』

あいつはあんまり美人じゃないないからよう、俺でも声をかけてやらなきゃと思ってさ。
そうしたら、あの女、いい気になりやがって。

本当に、可哀想なくらい美人じゃなかったのよ。
もちろん、人は見かけだけじゃない。
でも、限度ってものがあるだろう。
いくら、俺が優しくたって、ノートルダムのせむし男じゃ、誰も話も聞いちゃくれないさ。
ああ、知りませんよね。
せむし男なんてね。
そうだよな。
わかってらあ。
とにかく、あいつの見かけは良くなかったってことよ。
そこんとこをまず押さえておいて下さいって。

で、こんな俺にも憐れみの心ってものはあるのよ。
で、俺が声をかけてやったってこと。
この店で、そうだ、お嬢さん、そうあなた、お嬢さんのように、ひとりでポツンと座ってたのよ。
そっと見ると、ほっぺに涙が流れてたんだ。
女の涙はほっとけねえ。
そうだろう。
そうじゃないですか。

いろいろ言ってやがったが、あいつは天涯孤独の身の上だったのよ。
そんなこと、言われちゃな。
ほっとけねえわな。
何でもしてやったさ。
狭い、汚ねえ部屋に住んでやがったから、新しくて広い部屋を探してやった。
でも、なんだな。
あいつは、綺麗な部屋もすぐに汚しちまったけどな。
あいつは、ひとりじゃ掃除もできねえのよ。
まあ、いいさ。
あいつが、美容だか化粧だかの勉強したいって言うからさ、専門学校にもいれてやったんだ。
そしたら、あの女、いい気になって。
勘違いしやがって。
若い男とさ。
男も男だけどな、あんな女と。
どこがよかったのかね、あんな女の。

マスター、おかわり。
ああ、そちらのお嬢さんにも、同じものを。
いえ、気にしないで下さい。
こちらこそ、こんな話を聞かせて申し訳ない。
でも、まあ、聞いてくださいよ。

あの女。
ごめんなさいね、女なんて言っちゃって。
でも、本当にひどいやつなんですよ、あの女。
若い男とね。
いや、いいんですよ、こちとら、こんな老いぼれだ。
若い男の方がいいに決まってる。
でも、黙って消えちゃうこたあ、ないじゃないか。
そうでしょう。
ひとこと、お世話になりましたって。
別に、金返せなんて、野暮なことは言いませんよ。
それが、ある晩、ドアを開けたら、もぬけの殻だ。
おいてけぼりかよ。

ほんとうに、どうかしてるぜ、あの女。
今どき、心中なんてね。
何があったか知らねえけどよ。
近松じゃ、ねえってのよ。
道行きなんて。
ああ、近松ってなあ、近松門左衛門ね。
義理と人情の。
いや、いいです、わからなくて。
真冬に湖なんて、そんな冷たいところでな。
男も男だ。
あんな女に人生捧げるなんてね。
馬鹿じゃねえのって。
どっちもね。
まあ、馬鹿に馬鹿を積み重ねりゃあ、沈んでいくばっかりだってえの。
冷たくなってな。
おまけに、どこかに俺の名前が書いてたからって、いい迷惑だぜ。
まあ、やるこたあ、やってやったけどな。
馬鹿な奴よ。
マスター、あれかけてよ。
そんな気分さ。

お嬢さん、どうですか、もう一杯。
おっと、綺麗なお顔に、似合いませんよ、涙なんか。
よかったら、聞かせてくださいよ。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,460件

#ほろ酔い文学

6,044件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?