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『インターホン』(ホラー)

衝撃を感じて初めて急ブレーキを踏んだ。
何があった。酔いは一気に醒めていた。
車を降りてフロントを確認する。バンパーが少し奥に入っているようだが、大したことはない。ナンバープレートが曲がっているのはすぐに戻せるだろう。
ほっとして路上を見ると赤黒いしずくが点々と続いていた。
その先に女の子が倒れていた。

最初は飲まないつもりだったんだ。
上司の送別会に無理やり駆り出されてしまったんだ。
俺たち部下には特に人気のない上司だったから送別会のメンバーもあまり集まらなかった。それはそうだろう。あいつが異動になってみんな喜んでいたんだから。
あいつが出て行ってから祝賀会をやろうなんて計画も密かに出回っていたくらいだ。
俺も最初は不参加と言っていたのに、午後になって幹事役が泣きついてきやがった。断りきれずに参加することにした。
普段はマイカー通勤だが、今日は飲みに行くとわかっている日は電車で行くことにしている。しかし、今日は急に決まったもんだから、ウーロン茶で我慢して車で帰るつもりだった。

会は予想外に盛り上がった。
みんな嫌な上司がいなくなると思えば、本人を目の前にしても嬉しくて仕方なかったんだろう。
しこたま飲んで騒いでいた。
そんな部下の気持ちを知らない上司も同じように浮かれていた。

少しろれつのおかしくなった上司はウーロン茶しか飲んでいない俺にからんできた。
お約束の「俺の酒が飲めないのか」というやつだ。
「今日は車ですから。なんなら送って行きますよ」
と言っても引き下がらない。
「つべこべ言うな。帰りはタクシーで帰れ」
と言って一万円札をポケットに捩じ込まれると、もう断るわけにはいかなくなった。

それまでの遅れを取り戻そうとしてしこたま飲んだ。
お開きになり、タクシーを拾おうと通りに出た。
ポケットの一万円札に手が触れた時、魔がさした。
自分の車で帰れば一万円が浮く。酔ってはいるが運転できないほどじゃない。
運転できないほどじゃない…。
運転できないほどじゃない…。
運転できないほどじゃ…。

女の子はピクリとも動かない。うつ伏せになって顔をこちらに向けている。
ピンクのワンピースが街灯に浮き上がっている。
両目は俺を見つめて見開いたままだ。頭の下からは路肩に向けて血が流れている。
足が浮いているようで力が入らない。
思いが頭を駆けめぐる。

結婚を前提に付き合っている彼女のこと。
先週挨拶に行った彼女の両親のこと。
来春には昇格は間違いないと部長に約束されたこと。
故郷の両親。弟。友人…。
確か飲酒運転で死亡事故なら解雇だったよな。
全てを失い路上で暮らしている自分の姿がよぎった。

動かなくては。

女の子を抱き抱えた。小学生の高学年くらいか。
こんな子がどうしてこんな時間に。
午前零時近くの県道は人通りは皆無だ。車もほとんど通らない。
トランクを開けた。
何が入っているのかわからない紙袋や洗車道具などが散らばっている。
ああ、どうして車のトランクってやつはいらない荷物ばかり溜まってるんだ。
女の子をなんとか押し込んで蓋をした。とにかくここから離れなければ。
周囲を確認すると運転席に乗り込んだ。

車をマンションの駐車場に入れると、負傷兵のように自分の部屋に転がり込んだ。負傷兵がどうだか知らないが何となくだ。
部屋のソファに倒れ込むとテーブルに出ていたウイスキーをラッパ飲みした。
とにかく、明日は電車で通勤だ。トランクの女の子は明日帰ってから考えよう。
一日くらいなら匂いが出たりはしないだろう。
明日の夜中にどこか、山の中なら見つからない所があるだろう。
そもそもあんな時間にフラフラと歩いているからだ、小学生のくせに。
親は一体何をしていたんだ。
あれじゃ、酔っていなくても避けられたかどうかわからない。
そもそもは運転して帰ると言ってるのに飲ませた上司が悪いんじゃないか。
そもそも幹事の奴が俺に声をかけていなかったら、今頃は何事もなくベッドで眠っていたんだ。

そのままソファで眠り込もうとした時、インターホンが鳴った。
誰だよ、今頃。まさか警察ではあるまい。
それでも緊張が走った。

ドアのスコープから除いてみる。
幼稚園か小学校に入ったばかりか。小さな男の子が立っていた。
今どきの小学生はこんな時間に…。
とにかく警官ではなかった。
ホッとしてドアを開けた。
「ピンクの服着たお姉ちゃん、知りませんか?」













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