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『胃のなかの眼』

どうも腹の調子が良くない。
毎日、下痢を繰り返している。
食事を消化の良いものに変えてみる。
おかゆや雑炊。
あるいは、うどんをよく煮込んでみたり。
それでも、変わらない。
整腸薬を近くの薬局で買ってきた。
一週間服用してみたが、効果はない。
同僚からは、
「最近、少し痩せましたか」
などと言われる。
確かに、鏡を見ると、心なしか頬がこけているようにも見える。
ズボンのベルトの穴も、ふたつほどキツく締めても大丈夫だ。
妻からはよく、
「そんなに太ると、またズボンを買わないといけなくなるじゃないの」
などと愚痴を言われていたのに。

風呂に入る前の鏡で見ると、肋骨が目立つようになってきた。
腕や脚も細くなり、関節のところだけが、ブロッコリーのようにまるく飛び出している。
まるで拒食症の体のようだと思った。
以前に、有名な女性歌手が拒食症で亡くなった。
その亡くなる直前の写真を何かで見たことがある。
その記憶と、鏡の中の自分の姿が重なる。
いやいや、俺は拒食症なんかではない。
できるなら、腹いっぱい食べたいのだ。

ある日、同じように風呂に入る前に鏡を見ていて気がついた。
窪んできたお腹の、鳩尾のあたり、ちょうど胃のあたりだ。
小さく、ぷくっと膨らんでいる。
大きさで言うと、ゴルフボールくらいだろうか。
恐る恐る触ってみる。
やはり、何かしこりができている。
明日は会社を休んで医者に見せようと、とうとう決心した。

初老の医者は、パソコンに映し出されたレントゲン写真を見て考え込んでいる。
口を開きかけては、また「うーん」と押し黙る。
「先生、どうなんですか」
たまりかねて、こちらから尋ねてみる。
「いえね」
と医者は細い目をこちらに向けた。
「ここですよ」
とレントゲン写真を、持っていたボールペンの先で指した。
「ここがあなたの胃です」
そう言って、瓢箪のような形の影を大きく囲んだ。
「そして、これです」
医者のボールペンは、胃のなかの丸いものに一瞬だけ触れた。
「よく見てください。何だか、眼のようじゃありませんか」
確かに、胃のなかに小さな丸いものが映っている。
眼のようだと言われれば、こちらを睨んでいるような気がしてくる。
「ああ」
と納得するとともに、座っている足先から力が抜けていくのを感じた。
どうやら、妻はまだ消化しきれていなかったようだ。

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