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『白紙の日』

俺が高校に入ってすぐに、父が交通事故で亡くなった。
よく親が亡くなるとグレる奴がいる。
俺はそんなことはなかった。

俺にはずっと厳格な父だった。
父と話すときには常に敬語を使わされた。
友人が父親と友達のように話しているのを見るとうらやましかった。
テレビも父の許可した番組しか見せてもらえなかった。
クラスの話題になかなかついていけなった。

子供の頃から、将来は大学に行くように強制されていた。
父の望む成績でなければ、殴られることもあった。
泣くと、人前で泣くなと、また殴られる。
いつもトイレに隠れて泣いていた。
今なら虐待で児相にでも駆け込むところだ。
当時は耐えるしかなかった。

そんな父だから、亡くなっても悲しくもない。
正直なところ、やっと解放されたという気持ちの方が勝っていた。
むしろ落ち込んでいる母が心配だった。
厳しい父からいつもかばってくれていた。

父の遺品を整理していると、日記帳が何冊も出てきた。
1日1ページで、その日その日のことが克明に記してある。

俺のことも時々書かれている。
言葉づかいがなおならない。
成績が伸びない。
将来が心配だ。
ロクなことは書かれてない。

さかのぼっていくと、俺の生まれた日が出てきた。

白紙だった。

我が子が生まれた日に何も書くことはなかったのか。
それ以上驚きもしなかった。


俺は大学に進み無事に卒業した。
父の望みなどではない。
母が強硬にすすめてきたからだ。

だがそのおかげで、そこそこの企業に就職することができた。
母には感謝している。
これからもずっと面倒を見るつもりだ。

大学の頃から付き合っていた彼女と結婚した。
賃貸の安いマンションで暮らし始めたが、いずれ二世帯住宅でも建てて母を呼ぶつもりだ。

子供はなかなかできなかった。
妻とそのことで話すこともあった。
2人で楽しく暮らしていけばいいじゃないか。

5年が経過して、もう子供のことなど意識からなくなっていた頃に妻が妊娠した。
嬉しかった。2人で大喜びした。
大喜びして、しばらくすると強烈な不安に襲われた。
普通の家庭に育ってこなかった俺に子育てなんかできるのか。
忘れていた父への恨みが再燃した。

妻の提案で、2人で日記をつけることにした。
妻が経過や体調について記し、俺は何か思ったことを書く。
俺の不安を妻がやわらげてくれる日もあったし、俺が妻を励ます日もあった。
この日記のおかげで、俺にも少しずつ自信が湧いてきた。

昼過ぎに母から連絡があった。
携帯を切って、病院に駆けつけた。
職場のみんなは拍手で送り出してくれた。

男の子だった。
妻は俺の顔を見て泣いた。
俺も少しだけ泣いた。
トイレの個室でもう少し泣いた。

2人でずっと我が子の顔を見ていた。
いつの間にか日付が変わった。

その日の日記は白紙のままだった。




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