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『僕から僕へのメリー・クリスマス』

日は落ちて、公園は薄暗くなってきた。
いくつかの街灯に照らされているところだけが、ほの明るい。
少し前まで遊んでいた子供たちももういない。
そのせいでもないだろうが、空気も冷たくなってきた。
住宅街にある小さな公園だ。
遊具といったも、たいしたものはない。
低い滑り台と、キリンやパンダを模したまたがるだけのものが数台。
あとは小さな砂場。
公園の周囲は家に囲まれている。
窓からは、暖かそうな灯りが漏れている。
どこからか、これはシチューだろうか、美味しそうな匂いが漂ってくる。
あの子たちは家に帰って、今頃は家族と食卓を囲んでいるのだろう。
そこでは、こんな会話が交わされているのだ。
「今日ね、あそこの公園に変なおじさんがいたんだよ。僕たちをじっと見つめてるんだ」
「だめよ、そんな人にかかわっちゃ。今度、その人がいたらすぐに誰かに言いなさい」
もしかすると、もうどこかの親が通報して、警官がこちらに向かっているのかもしれない。
そうなれば、抵抗などせずに、おとなしく従おう。
警官が抱いている疑いを全て認めてもいい。

足音がした。
見ると、街灯の灯りの下に男の子が佇んでいる。
目が合うと、こちらに向かって歩いてくる。
途端に警戒心で体は固くなる。
これは、何かの罠ではないのか。
あの子と言葉を交わした途端に、屈強な男たちや警官が現れるのではないのか。
誘拐未遂でも、男児暴行未遂でも、でっち上げることは可能だろう。
さっきは、警官が現れても構わないなどと開きなおっていたのに。
いざ、それが少し現実味を帯びてくると、この体たらくだ。
こちらから立ち去るべきか。
だが、もう遅い。
男の子は、目の前にいる。

「ねえ、君」
「君って…」
生意気な子だ。
でも、ここで乱暴に出てはいけない。
「おじさんはここで少し休憩しているだけなんだよ。君のお家はこの近くなのかな」
「ねえ、君っていうか、僕っていうか。僕の顔、よく見てよ」
「えっ?」
「ほら、あの時の君さ、小学校4年の時の」
「小学校…4年…僕」
「つまり、君は僕で、僕は君ってことだよ」
そういえば、この刈り上げにした髪型。
丸い顔。
それに、この服装も。
青いポロシャツ。
これが気に入って1年中着ていたっけ。
冬は、この上にブルゾンを羽織ったりしたんだ。
「そうか、君は小学校4年の時の僕なんだね」
「そうだよ。でも、勘違いしないでね。僕はよくあるように過去から来て、僕から見れば未来の僕、まあ、おじさんって呼ばれるのは仕方ないとして、そのおじさんを励まそうとかそんなつもりで来たんじゃないからね」
「じゃあ…」
「君っていうか、やっぱりおじさんでいいか。おじさんこそ、何か言いたいことがあるんじゃないの」
「そうだなあ。君くらいの時に、もっと勉強すればよかったかな」
「それもそうだけどね」
「そうだ、クラスで仲のいい友達がいたんだけどね、ささいなことで喧嘩しちゃったんだ」
「ゲームのやり方が気に食わないとかね」
「それで、その子が夏休みに突然引っ越しをすることになって、僕はそれまでに謝ろうと思ったんだけど、結局、その子はそのまま引っ越してしまったんだ」
「僕は寂しい思いをしたよ」
「そうだった。2学期になって、当然その子はいなくて」
「多分、大人の事情なんだろうね。誰も行き先を知らないんだよ」
「君には辛い思いをさせたね。すまなかった。もっと素直になっていれば。あれから、その子とは一度も連絡が取れていないからね。今はどうしているのかなあ」
「まあ、いいよ。でも、僕は、将来、こんなおじさんになるんだね」
「ごめんな、こんなで」
「いや、悪くないよ。生きることに疲れたおじさんが夜の公園にひとり。絵になるよ」
「君に何がわかるんだ。君はまだ知らないだろうけどね、家族を養うことがどういうことなのか。仕事を失うことがどういうことなのか」
「そうさ、僕はこの先のことは何も知らない。でも、僕はおじさんを受け入れるしかないんだよ。僕の未来は変えられないからね。でも、これだけは言っておきたい。僕は、おじさんっていうか、そんな僕を嫌いじゃないよ」
「ありがとう。かっとして悪かった」
「大丈夫だよ」
小学校4年の僕は、夢から覚めるように消えてしまった。
空気の冷たさが増しているのに気がつく。
そういえば、こちらの息は白いのに、男の子の息は白くなかったな。

「へえー、こんなのなるのかあ」
丸坊主の少年が体をかがめて、こちらの顔を見上げている。
「もしかして、君は」
「さすが、僕っていうか、おじさん、察しがいいね。僕は中2の君、いやおじさんだよ」
「ああ、そうだった。中2の時と言えば…」
遠くでサイレンの音が通り過ぎる。
「そう、おじさんが中2の時と言えば?」
「あれはクリスマスの直前だった。同じクラスの女の子から手紙を渡された。野球部の練習が終わって、帰ろうとした時だ」
「校門でみんなと別れた時だね」
「うん。もちろんそれはラブやレターというやつだった。そして、その女の子のことは僕もずっと気になっていたんだ。でも、僕なんかが付き合えるわけがないと思っていた」
「家に帰って、自分の部屋で何度も読み返したね」
「ああ。でもね、僕は結局その子と付き合うことはなかったんだ。今では信じられないけど、僕は断ったんだよ」
「彼女、泣きそうだったね」
「そうだった。僕は怖かったんだ。何故か、自分の幸運が怖かったんだよ」
「結局、クリスマスは家族で過ごせてよかったかな」
「君には、寂しい思いをさせたね。僕にもう少し勇気があればよかったんだけど」
「謝らなくていいんだよ。今では、おじさんの、つまり僕でもあるけど、いい思い出なんでしょ」
「そうだなあ。あの子はどうしてるかなあ。幸せになってくれてるといいんだけどな」
「僕は、夜の公演で切ない恋の思い出にふけるおじさん、嫌いじゃないよ」
「君は何もまだ知らないんだな。リストラされるってのが、どういうことか。これまで、一生懸命に働いてきたのに、もう来なくていいですっ言われる気持ちが」
「もちろん、今の僕にはわからないけど、そんなおじさん、ていうか僕を、僕は責めようとは思わないよ。よくやってるんじゃない。でも、おじさん、仕事は無くなっても待ってる人がいるんじゃないの。早く帰らないと風邪ひくよ。それじゃ」
そう言って、同じように中学生の僕は消えていった。

「雪が降ってきたよ」
「君は…」
「そろそろわかるよね」
「ああ、君は高三の時の僕だね」
「そうさ、今最後の試合が終わって帰るところだよ」
「最後の試合…」
「そう、最後の夏の大会の予選、一回戦。見事に負けちゃったけどね」
「そうだ、最後は君の、いや僕の見逃し三振だった」
「そうなんだよ、ランナー2、3塁、一打逆転のチャンスだったんだけどね」
「すまなかった。1球目は内角の甘い球。でも、僕はバットを振ることができなかった。初球から打って出る勇気がなかったんだ。すまない」
「そして、2球目は思いっきりバットを振って、一塁線の鋭い当たり。でもファールだった。ベンチはどよめいたよね」
「そして、3球目はカーブに合わずに空振り。で、ゲームセット」
「でも、3年間、頑張れたよね」
「頑張っただけで、結果は何もないんだ」
「おじさん、ていうか、僕のその後の人生で、今の僕、つまりおじさんの3年間が支えになることってあったでしょ」
「それは、あったかなあ」
「じゃあ、それだけで僕は満足だよ。それに、雪の降り出した公園で、ひとりうつむいているおじさん、モノクロで撮るといい感じだよね」
「君に何がわかる、仕事ばかりで、それが家庭を持つ男の責任だと信じて、我が子の死に目にも立ち会えなかったことがどれだけ後悔を招くことか」
「そうかあ、そんなに悲しいことがこれから僕にあるんだね。でもね、おじさんのその仕事が第一っていう価値観はどうか知らないけど、少なくとも家族のために頑張っていたんなら、その子もわかってくれていると思うよ。おじさんだって、つまり僕だけど、最後まで働いて病気の治療をしなかったお父さんのこと、恨んでないでしょ」
「うん。でもそうかな、あの子はわかってくれているかな」
「僕はまだ子供だからね、責任は持てないけどね。それじゃ」

「もういいかな」
「君は…」
「昨日の君さ。でも、もういいよな、今更僕がいうことは何もないよ。どうしたんだい、僕にも謝ろうってのかい。もっといい会社に入っていればとか」
「そうかもしれないな、もっといい会社に…」
「もういいよ。過去の自分に誤ったって仕方がないよ。それは全て君、つまり僕の人生なんだ。後から、良かったとか失敗したとかいうけどね、でも、何が失敗で何が成功かは誰にも決められないんだ。それに、成功も失敗もそんなのはどこにもないんだよ。逆転サヨナラヒットを打てば成功で、最後のバッターになれば失敗なのかい。そんなものじゃないだろう」
「それは、そうかもしれないけど」
「もしかしたら、死ぬかもしれない。そんなこともあるさ。頑張らなくてもいいけど、せめて、自分は自分でやるべきことはやったと思えれば、それで、いいんじゃないかな。それは、人がとやかく言う事じゃない。言う人には言わせておけばいい。君は勇気がなかったって言うけど、勇気を持って決断したこともたくさんあるんじゃないのかい」
いつの間にか、あたりは白くなっていた。
地面にも、公園の植え込みにもうっすらと雪が積もっている。
「ほらほら、そう思わせてくれる人が来たみたいだよ。それじゃ、少し早いけど、メリー・クリスマス」
昨日の僕は消えた。

その向こうから、傘をさした人影が近づいてくる。
見覚えのあるコートとマフラー。
「あなた、やっぱりここだったのね。さあ、風邪ひくわよ」
「すまない」
「よくあの子とここに来てたから。ほら、雪、あの子も好きだったでしょ。いつもはしゃいでいた」
「そうだったね」
「そんなはずはないんだけど、わたしね、雪が降るといつもあの子が何か伝えようとしている、そんな気がするの。僕は楽しいよ、一緒に楽しんでって」
手袋をした妻の手を握った。
妻も握り返してきた。
こんなことは、何年ぶりだろうか。
「あのさ、仕事だけどね…」
「それより、早く帰りましょ。明日は雪だるまつくれるかな」
妻が差し出す傘を受け取った。
2人で同じ傘に入るのも何年ぶりだろうか。
街灯が滲んでいた。

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