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書かなければ生きれなかった


ジジイが若いころ書いた4つの小説(有料)と、40歳過ぎに世界平和を願って書いた7つの小説(無料)を、これまで自分のホームページで公開してきたんだけど、今回、ホームページをたたむと同時に、それらをここ(note)に移す作業をしている。

今回、若いころ書いた4つの小説の中の1つ『レフュージ(水たちの帰る場所)』がやっと移し終わった。
これは、まだ二十歳代の頃に書いたものだったと思う。
よかったら読んでみてください。

そんな作業のさなか、作品を読み返しているうちに、ふと「文学作品は赤貧の中から生まれる」という、何か意味ありげな言葉が脳内に浮かんできた。


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このジジイが年上の女性とある安アパートで同棲を始めたのは、まだ学生気分の抜けない二十四歳のころだった。将来は画家になることを夢見ている女と小説家になることを夢見ている男。

安アパートだから風呂もついていなかったけど、それまで共同トイレのアパートに住んでいた彼女だったので、二人にとってはトイレが付いているだけで感動的だった。

嵐の日は隙間風がうるさく、おまけに雨漏りがしたのだけど、洗面器を取りに走るジジイの心はウキウキしていたものだった。二人のためにできることが増えるのが嬉しかったんだな。

近くには時々氾濫を起こす川が流れていた。何年か後になってから知ったんだけどその川はあの有名な「神田川」だった。

二人の生活は、まさに、南こうせつとかぐや姫の『神田川』そのものだったと思う。

銭湯の帰りには時々遠回りして近所を散歩して帰ることがあった。
そして、目に入るいろいろな家に「普通の家」「金持ちの家」「すごい金持ちの家」とランクを付けあって、将来、「すごい金持ちの家に住もうね」と約束した。



月日が流れ、その夢見る男が赤貧のジジイになっていた。


若かりし頃の赤貧は、まるでボクシングのハングリー精神のように夢を叶えるためのパワーを秘めているものだけど、今の自分が感じている「赤貧」はそれではない。

だけど、不思議なことに、若かりし頃に書いた自分の小説を読み返していると、今感じでいる「赤貧」と同じ匂いを感じるんだ。

夢や希望や全てのものをはぎ取ってもなお存在している、まさに核のような完璧なる「赤貧」。
広い砂浜に紛れて目立たない宝石のように、今にも消えそうな光をにじませている「赤貧」。

億を稼ぐ作家はたくさんいるけど、赤貧から遠く離れてしまった彼らの作品にはもはや価値がない、などと言いたいわけではないんだ。
もし今でも、彼らの描く作品が人の心を打つのであれば、心のどこかに「赤貧」が息づいているに違いないと思うんだよ。

それは、もはや夢にも希望にも見放され、全てのものをはぎ取られてしまった後の、「本当の赤貧」にいる今のジジイの勘みたいなものなんだ。



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リルケは、「詩人になるためにはたった一つの条件さえあればいい」として、その条件についてこう書いている。
「あなたの夜の最も静かな時刻に、自分自身にたずねてごらんなさい。私は書かなければならないかと‥‥」

そうだ! その頃、自分は確かにこれを書かなければ生きれなかった。

それが、夢を持って生きていたあの頃にも、胸の奥の奥で弱々しく誰にも気づかれずに今にも消えそうに灯っていた「赤貧」のことではなかったかと思う。
まるで透明な悲しみのように‥‥。



『レフュージ(水たちの帰る場所)』


長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。