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僕は健康だよ。ただちょっと‥‥。


 仲良しだった友達が引っ越すことになって
 「じゃあ、元気でね」と言って、別れていく時や
 一緒に働いていた人が辞めてしまうことになって
 「お世話になりました」などと言って、出ていく時
 僕は泣きそうになってしまう。
 落ち込んじゃう。そんな僕だけど心は健康だよ。
 ただちょっと‥‥弱いだけ。
     (2002年制作)




強くならないで

僕はこれまで数多くの人と出会って
数多くの人との別れを繰り返してきたけど
一体何人の人に忘れられてきたことだろう。
二度と開けることのない引き出しの奥深くに押しやられて
もう僕は彼らにとって
とっくに死んでしまった人間よりも希薄な存在に違いない。
時々そんなことを考えます。

君だって今まで出会った人を一人一人思い出す
ことなんて到底できやしないと思う。
それは、とても悲しいことだと思わないですか?

戦争で数多くの人が無差別に殺されたように
僕たちはもう用済みの人をかたっぱしから抹殺し
抹殺されていく。
僕は出会った全ての人とかけがえのない関係
でいられたらと思う。
もしかしたら、それはとても重い荷物
を背負うことになるかもしれないとしても。

他人のことを通り過ぎる風のように
なんの未練もなく忘れることのできる人が
幸福な人なのでしょうか?
君もそんな強い人間の一人ですか?

だったら強くなんかならないで欲しい‥‥。

別れることがとても悲しくって辛くって
そのくせ
かつて、あれほど大切に思っていた人
を忘れてしまえる自分も悲しくって
‥‥死にたくなる
そんな弱い弱い人間であって欲しい。

うつ病

うつ病ってなんだろう?
goo大辞林で調べてみた。
「気分の抑鬱、意欲や生命感の低下など鬱状態を特
徴とする精神障害。躁鬱病のうちの鬱病相をさすこと
が多いが、ほかに心理的原因による反応性鬱病、
中毒や脳病変による鬱病など広い範囲のものを含む」

うつ病になったら
君ならどうする?
病院に行ってしかるべき薬を処方してもらう?
何かの宗教に入信する?
前向きな人は、そのようにして
なんらかのものに頼ろうとするんだろうね。
それこそ藁(わら)をも掴む気持ちで。
でも
何かに頼ってしまうと
それからは
もうそれなしではいられなくなってしまうよ。
それが心の病気の恐いところだ。

こころ

心の病気って言ったけど
心ってなんだろう。
それは脳のこと。
脳の機能がまだよくわかっていなかった時代に
心って言葉を作って、今でも代用してるんだ。

今日からは
心なんて言わずに
脳って言ってみよう。
いやだ(no)なんて言わないでね。
いいにしろ悪いにしろ
時代は変化している。
心という言葉は古い時代の言葉なんだ。

でも、勘違いしないでほしい。
脳は決して単独で存在してはいない。
君の身体のすべての臓器とつながっている。
それどころか
五感を通して
君を取り巻く全ての環境や
あらゆる他の脳と
つながっている。
このインターネットのように‥‥。

君の脳は
一人ぼっちでは決して存在できない。

芸術は行為

祭りの後に襲ってくる、あの取り残された
寂寥感のような感じで
人生が空しく味気なく思えてくる。

もっと言うと、何もかもがつまらなくて
このままスーッとどこかへ消えてしまえたらいいな
なんて、考えてしまう。
将来のことを考えても
なんだか希望も持てないような気がしてきて
恐くて気が狂いそうになる時もある。

うつ病って、きっと
自分を必要としてくれている人が誰もいない
と感じることじゃないかな。
単独で存在することができないはずの君の脳が
他と連結する回線に支障が出てしまった状態だ。
そのせいで
脳に必要な共感という水を
補給できなくなっていて
脳が枯れそうになって
干乾びる寸前なんじゃないかな。

そんな時
自分の一番得意な方法で
思いっきり泣いてごらん! 叫んでごらん!
誰も聞いていなくても
誰かにわかってもらえるように
自分の気持ちを思いっきり表現するんだ。

僕は言葉でやってみよう。

嘘寒い、灰色、無味乾燥、孤独、不安、生き恥
薄っぺら、甲斐がない、愛もない
ああ死んじまえ、死んじまえ死んじまえ
死んじまえ死んじまえ死んじまえ死んじまえ

先の丸まった6Bの鉛筆にギューッと力をこめて
自分の気持ちをノートに書きなぐってみるだけで
いくらかすっきりする。

音楽が得意なら
君は音を使って叫べばいい。
身体を使って発散してもいい。
これが芸術というものだったんだ。
芸術は作品にではなくて
行為そのものに与えられた名称だったんだ。
作品はその行為によって産み落とされた
吐しゃ物のような物。

芸術に才能なんて必要ないよ。
本当は
ある効果を期待して作品を創作する「芸術家」
と呼ばれている才能ある人たちは
「装飾家」と呼ばれるべきなんだ。
芸術は僕たちにもっともっと身近なもの
干乾びた脳を
自分自身で癒すために必要なもの。

干乾びた脳

もしも君の脳が芸術でも癒せないほど
干乾びてしまっていたら
つまり
どんな行為も鬱陶しく感じるくらいに
疲れてしまっていたらということだけど
それでも
薬なんかに頼ってはいけないよ。
なぜなら、薬は世界中の脳と通じてはいないもの。
君の脳は世界中の脳とつながって存在する存在
だというのに‥‥ネ。

君の脳が不具合を生じているなら
原因は君の脳だけではない。
君を根本から救う方法はね
それはね‥‥

それは
自分自身を知ることだよ。
世界中の脳との関わりの中に存在する
その、自分を発見するんだ。
それに
君は病気なんかじゃない!
そう、ただちょっと弱いだけなんだ。
現代の価値観が作っているこの社会
を生き抜くために必要な強さ
言い換えると
無神経さや図太さが足りないだけなんだ。

自分を救う方法

君が自分を救う鍵は
自分を見つめ自分を知ることだったなんて
考えてみれば当たり前のことだよね。
自分の怪我の原因がわからなければ
治しようがないもの。

でも‥‥
薬や宗教は自分を知ることの役には立たない。
薬は、君の脳を、周りの全ての脳とは
孤立したもの、という考え方の元で処方される。
原因は君自身の脳にある、という考え方だ。

君のパソコンと周りのパソコンをつなぐための
回線に障害が生じているというのに
君のパソコン自体をいくらいじくり回したって
治るはずはないと思わないかい?
それに、宗教は
古い時代の偏見に凝り固まっている。

自分を見つめ、自分を知っていくうちに
君は気づくと思う。
君は、現代社会の価値観から見るから
病気と呼ばれていただけだったんだって。
その時
干乾びそうになっていた君の脳に
たくさんの水が注がれるように
君は瑞々しくよみがえるはず。
君は今のままで十分適応していたんだ。
今の状態が君の適応の仕方だったんだ。
それは、つまり

君に敵なんて何一つ存在していなかった
という意味でもある!!

適応と障害

発明王エジソンが子供の頃
実験をしていて爆発騒ぎを起こした
というのは有名な話だよね。

人はそれに対して実験に失敗したと考える。
でも、本当にそうだろうか?
彼が混ぜ合わせた化学物質が
自然界の法則の中で適応した現象
を起こした‥‥わけだから
自然界から見たら全てが
成功?してるんだよね。

失敗・成功は、人間の想像力が
ある基準を設けて
それに対して下される判断なんだ。

障害者って言葉だって同じだね。
大多数の人を基準として
いろいろなものは工夫され発明されるから
少数の人はますます暮らしにくくなる。
その人たちに対して
人間の想像力が障害者と呼んでいるけど
科学的偏見から見ると‥‥
つまり科学もひとつの偏見であり
その偏見から見るとというわけだけど、
それが、その人の
自然界に適応した現れ方なんだ。

それなのに病名を与えられ
治療を施されるから
本人まで自分が病人のような
気がしてきてしまう。
苦しんだり悲しんだりしていなければ申し訳ないような
気がしてしまう。

この宇宙には適応されない状態で
存在しているものは何一つない

世の中から無用な差別や争いをなくすには
自然界を基準としたこの科学の考え方が
役に立ちそうだと思えないかい?
今までの‥‥大多数の人や強者
を基準とする考え方ではなく‥‥。

科学は物騒な兵器をたくさん作りはしたけれど
実は、平和に貢献する「ものの考え方」を
示してくれてもいたわけなんだ。

人間と動物の違い

人間と他の動物との最も大きな違いは
脳の構造の違いかもしれない。

脳の構造を簡単に説明すると
まずは心棒に当たる脳幹があって
それを包むように大脳辺縁系がある。
これらは「動物の脳」とも呼ばれ本能的な働き
をする部分だ。

その上を「人間の脳」とも呼ばれる大脳新皮質
が覆っている。
これは作られてきた順番でもある。
人間の脳は
きちんとした計画性もなく
長い年月をかけて増築されてきた
古い家のようなものなんだ。

いいかい?
今、これから、君に
動物たちの話をする。

温存する本能

ゾウアザラシは1頭のオスが100頭近くものメス
を独り占めしてハーレムを作る。
メスを独占するため、鼻をふくらませ
大声を出して、血を流して戦うんだ。

卵からかえった小鳥の雛は
より多くの食物を親から貰おうと
競って大きな口を開ける。

子犬は乳の出る乳首を奪い合う
この競争に負ければ発育が遅れ
死ぬことにもなりかねないから。

カッコウは他の鳥の巣に卵を産み
その鳥に自分の子供を育てさせる。
卵からかえったばかりのカッコウの雛は
他の鳥の卵を全部巣の外に放り出してしまう。

ピグミーチンパンジーのメスは
オスが食べ物を手に入れたのを見ると近づいていって
手を広げてちょうだいをして
お礼に交尾をさせる

誰でも、今挙げた動物たちの行動から
知人の顔を数人連想することができるんじゃないかな?
あるいは、自分にも思い当たる節がある
と思ったりしないかい?

それは人間の脳の中にも
動物と同じ本能が
温存されているからなんだ。

理性と弱さ

今、君に、一つ質問する。
お腹がすいた動物が、仲間の動物を殺して食べたとして
それを誰か悪く言う人いるかな?
それは自然に適った行動なんだ。

「共食いは進化においては合理的であり
極度の状況では生物として正常な反応である」
ある動物学者はそう言っている

ヤリたくなったら、どこでもヤレるのが動物だ。

でも、人間がそんなことをしたら
とんでもないことだ! と非難されるのは何故?
それは大脳新皮質‥‥つまり理性の脳が
肥大したせいなんだ。
本能のまま行動する動物に対して
人間は本能を理性でコントロールする。
社会生活を営むために‥‥。

つまり、理性は自然界にとって
反逆児として生まれてきた。

人間はそのために弱くなった。
本能と理性の葛藤で
苦しまなければならなくなった。
他人の気持ちを思いやる優しい心(脳)を
持ったせいで
人間は弱くなった。

救わなきゃいけないもの

君が根本から救われるためには
君のことを病気扱いしていたこの社会を
救わなければならない。

変わらなきゃいけなかったのは
弱い僕たちの方じゃなく
社会の方だったんだ。
なぜなら
弱い人間たちが互いに助け合うためにこそ
社会が必要とされたんだもの。

それなのに
社会が生まれると、どうしても
自分の都合のいいように
自分より弱い人間を利用しようとする
より強い人間
が社会を支配することになってしまう。

どうして君まで
そんな人間になる必要があるんだい?
そんな人間になろうと努力する必要があるんだい!?

この障害者たち

「恵まれない人に愛の手を」
この標語、とても美しく響く。

だけどそれってどこかに
恵まれない人を自分より下
と思う気持ちがないかな?

恵んであげる自分の方がちょっと偉そう。

この宇宙には適応されない状態で
存在しているものは何一つない
と言ったけど、唯一あるとすれば
自然界から見て反逆児として生まれた理性。

この理性こそ不適応そのもの。
だってそれがなければ僕だって
こんなに悩んだり迷ったり苦しんだり
しないですんだんだもの。
そのように考えると
理性を持つ僕たちは
この自然界においては
みんなみんな障害を持った
本当の意味での障害者だったんだ。

だったらこう考えたらどうだろう。
「恵まれない人に愛の手を」ではなく
僕たちみんな恵まれないものたちだから
助け合おうよ‥‥助け合わなきゃ。

上から下へではなく、
みんなみんな一緒だったんだから。

幻想だった強さ

最終的には僕たちは
武器を全て捨てなければいけない。
武器がなくても安心できる
地球にしなければいけない。

そのためには
「強さ」を崇めていた価値観を
「弱さ」を崇める価値観に
変えていかなければならない。
自分のことを強いと思っていた幻想を
勇気を持って断ち切る時がきた。

たいして難しいことじゃない。

みんなが自分を知ろうとすれば
自然に変化していくはずなんだ。

僕たちが真の人間であろうとするなら
つまり、理性が本能をコントロールしている人間
‥‥という意味の真の人間であろうとするなら
これからは弱さを崇めることのできる
勇気ある人間になろうよ。

本当の平和

もし君の隣に弱い人間がいたら
「それでいいんだよ」って
優しく声をかけてあげよう。
「僕も同じ弱いんだよ」って言えるようになろう。

そして、弱い人間が楽しく生きれるように
手を貸してあげよう。

その方が
一人で頑張って強く生きようとするより
一人一人が強くなろうとするより

ずっとずっと平和で楽しい世界になる。

自分、自分、自分 !!

僕たちはアイデンティティなどという
不思議な言葉に規制されて
確固とした「自分」というものが存在
するかのような幻想の中で生きている。
確固とした「自分」というものが
存在しなければいけないような
強迫観念の中で生きている。

だけど「自分」とは結構不安定で
柔軟なものなんだ。
全体の中で位置付けされるもの。
変化する存在なんだ。

アイデンティティの確立などという言葉
に踊らされて
無用の競争や差別意識
を抱いてしまうのは
もうやめよう。

自分も他人、他人も自分

周りを見回してごらん!
脳が人間の皮をかぶっている。
脳が怒っている、主張している。
自慢している、傷つけ合っている、殺し合っている。
可愛いもんだね‥‥人間って。
みんな脳の操り人形だったんだ。

決して君の目の前の人を憎んじゃいけない。
憎むんだったらその人の脳を憎むんだ。
悪いのは、その人の脳を取り巻く環境や
脳に記憶として蓄積される情報だ。
彼の脳を作っているそれらを憎むんだ。

そう考えたら
とたんに自分の中から
他人を恨んだり憎んだりする気持ちが失せて
みんな仲間同士に思えるから不思議だ。
僕らはみんなこの脳の
いや、自然界の操り人形。
可哀相な人形仲間だったんだ。

みんなが自分たちをそういう目で見れたら
きっと争いなんてなくなる。

何故って君の脳は
君の脳を取り巻く全ての環境
によって作られているものに過ぎないわけだから
今まで他人だと思っていた脳も
自分の脳の一部であったわけだ。

今まで自分だと思っていたものは他人で
今まで他人だと思っていたものは自分???
何だか混乱しそう。
要するに脳は全てつながっているということ。

それがわかったら
もう君は決して他人という自分を憎もうなんて
思わないよね。
他人という自分を大切にしてあげようと思うよね。

もう一度繰り返すよ。
君の脳は決して一人では存在できない!
全ての脳をみんなの共有物と考えよう!
僕たちは、みんなみんな
つながっていたんだ!!

これが現代科学という偏見が
我々を導いてくれた視点なんだ。

遺伝も環境の一つ

僕たちには拭い去ることのできない(と錯覚している)
過去の記憶というものがあって
それが憎しみや差別につながる原因ともなる。

過去の記憶の一つでもある「遺伝」
も、その存在にあまり固執すると差別を生む。

いっそこの遺伝も含めて
過去の記憶全てひっくるめて
脳を取り巻く環境と大きく捉えてみたら
どうだろう?

すると君の中で何かが変化しないかい?
厳然として存在していたはずの
過去の記憶がバラバラと
崩れていく音が聞こえないかい?(笑)

周囲の環境が変化すると君の脳
も変化するように
僕たちの過去の記憶というのは
ちっとも確たるものなんかじゃなくて
実際は環境や将来のビジョンによって
常に新しく塗り替えられている
そういう性質のものだったんだ。

この世から憎しみや差別をなくすには
時にはこだわりを捨てることのできる
大きなものの見方も必要なこと。

それが
遺伝も含めて
過去の記憶全てひっくるめて
脳を取り巻く環境、と大きく捉える見方だ

病者の祈り

 最後に君に、美しい詩をプレゼントしよう。
 ニューヨークの、とあるリハビリセンター
 の壁に貼ってあった詩。

『病者の祈り』

大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた

私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されたのだ

弱さ・病弱・貧困

この美しい詩は
僕たちの弱さ・病弱・貧困
を励ましてくれるけど

それと同時に
今まで人類が求めていた
力・健康・富
への反省を促してもくれる。

確かに
力・健康・富
への憧れが
科学、文化を発展?させてきた。
だけど、もうその価値観では
世界を平和にはできない。
悲しいけれど
もう、限界にきているんだ。

‥そのことに
早く気づいて!

本当の強さ‥本当の‥

だけど、「力」「健康」「富」には
明るい躍動感のようなものを感じる。
その反対に、弱さ・病弱・貧困と続けると
なんだか気持ちが暗くなる。

その理由は
「力」「健康」「富」
を崇める今までの社会の中で
蔑(さげす)まれてきた言葉たち
だからなんだ。

僕たちはみんな小さい頃から
強くなれと励まされて
生きてきた。
競争に負けるな‥‥。
勝利者になれ‥‥と。

だから今さら
強さを崇拝せずに
弱さを崇拝できるようになれ、と言っても
なかなか難しい。

一旦植え付けられたイメージを
塗り替えるのは難しい。

それでは、このように考えてみたらどうだろう!?

★本当の強さとは‥
自分の弱さを見つめる勇気を持つこと。

★本当の健康とは‥
自分の病弱さを知りつつもそれを明るく笑い飛ばせること。

★本当の富とは‥
自分の貧しさを知り、助け合える多くの友人を持つこと。

平和の振り子

君は君の脳によって操られ
そしてその脳は君を取り巻く環境や
他の脳によって作られていた
と気づいた瞬間‥‥それは
僕たちの脳が一つになった瞬間だ。
今、この瞬間、不規則に揺れていた
平和のときを刻む振り子は
優雅に揺れ始める。

もう君は何も恐れることはない!
それを知った今の君には、
敵は何一つ存在しないのだから。
君はもう一人じゃない!

謝辞

この文章を書いたのは僕‥‥
かもしれませんが、正確に言うと
僕が書かされたものです。

僕にこの文章を書かせたものは
僕の脳を取り巻く環境‥‥
とりわけ
今もこのような形でつながっている
あなた方の脳です。
なぜなら僕の脳は
あなた方に作られていた
わけですから。

でも、もし、ある人
の励ましがなければ
完成には到らなかったでしょう。
ネットの友人、麦藁帽子さん
あなたに、心より感謝致します。

2002.03.10


あとがき 

2002年に手作りのホームページで公開していたものをこちらに移させていただきました。

あのころ本当にホームページ作りが盛んでした。個性的な作品がたくさんあり、ワクワクする時代でした。

そしてメルマガをいくつも発行して、掲示板で激論を闘わせて、いろいろなものを交換し合って‥‥今思えばみんなみんないい思い出です。

だからホームページを作った僕の脳は、確かに、その頃の彼らに作られていたと思うのです。
あの頃、顔は見えなくても心でつながっていたみんな、今はどうしているのかなあ!?

(2020.09.24)



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★★★   未来モデル小説   ★★★
ブンシニズム・ドット・ネット
人類が「科学的覚醒」を果たして、「個人主義の《環境》」から「分身主義の《環境》」に移行した未来の世界を感じてもらうために小説にしました。
お金も武器もなくなった世界なので、誰もがボランティアのように自由に働きながら世界を行き来して、行く先々で出会う人たちと交遊して人生を楽しみ、生だけでなく死も大切にする人たちの物語です。
実現可能な平和な世界。実現の願いを込めて描いた未来の世界です。

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長い文章を読んでくださりありがとうございます。 noteの投稿は2021年9月27日の記事に書いたように終わりにしています。 でも、スキ、フォロー、コメントなどしていただいた方の記事は読ませていただいていますので、これからもよろしくお願いします。