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『雨の日には車をみがいて』を読む

本日のnoteは、久々に再読した五木寛之『雨の日には車をみがいて』の読書感想文です。


五木寛之の傑作短編集

五木寛之氏の作品は、私が読書生活に入った頃から愛読しています。紡がれていくことばの流れがよく、すっと心の深い所まで入ってきます。

この短編集は、氏の数多い作品の中でも一番思い出深い作品です。セールス的にもかなり成功した作品です。この本の編集には後に幻冬舎を立ち上げる見城徹氏が関わっています。

私は1990年発売の角川文庫版を買って、当時住んでいた下宿で一気に読み切りました。車に憧れるようになったのは、この小説を読んだ影響が確実にあります。今は角川文庫版は絶版なのでしょうか? 村上春樹氏とのコンビで知られる安西水丸氏がデザインしたカバーが魅力的です。 

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集英社文庫や講談社からも発行されています。

筋金入りの車好きが描いた車をめぐる物語

駆け出し放送作家で車好きの主人公が、1966年から乗り継いできた9台の車とその車に関係する9人の女性との思い出を振り返る一話完結の物語です。

第1話 たそがれ色のシムカ(シムカ1000)
第2話 アルファロメオの月(アルフェ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー)
第3話 アマゾンにもう一度(ボルボ122S)
第4話 バイエルンからきた貴婦人(BMW2000CS)
第5話 翼よ!あれがパリの灯だ(シトロ―エン2CV)
第6話 ビッグ・キャットはしなやかに(ジャグヮーXJ6)
第7話 怪物グロッサーの孫娘(メルツェデス・ベンツ300SEL 6.3)
第8話 時をパスするもの(ポルシェ911S)
第9話 白樺のエンブレム(サーブ96S)

五木氏は、大の車好きです。御本人が「好きを通り越して偏愛している」と自著の中で語っています。それは、作品に登場する9台の車(全て外国車)の表記や、それぞれの話の中で語られる車の仕様や運転についての詳細な知識からも垣間見られます。

五木氏はエピローグ風のあとがきでこう書き残しています。(今回久々に読み返して五木氏が一人称に「ぼく」を使っていることが意外でした。)

求道的な批評家は顔をしかめるかもしれないが、ぼくはこの本におさめた物語を、じつに楽しみながら書いた。おそらくぼくがこれまでに書いたどんな小説よりも楽しめたと思う。
(中略)
書き手がこれだけ愉快がってつくりあげた物語なのだから、読者には作者よりももっと楽しんで読んでもらえるのではないかと勝手に決めこんでいる。

本書を読み進めていけば、五木氏の熱量が伝わってきて、このことばに納得できる筈です。最後の解説では、松本葉氏が、五木氏が車に対して膨大な知識と偏愛を持っていることを物語ることを書いています。

正確な記号としてのクルマではなく、正確な言葉で語られたクルマが登場する小説ーを初めて描いた作家が、五木寛之だと思う。

帰りの車の中で、自動車小僧がそのまま大きくなったみたいな編集長が、しみじみ、こんなふうに言った。
「五木さんも好きなんだなあ」
それは同病者が同病者を哀れむような、魅せられてしまったがゆえに魅せられてしまったものの辛さがわかる、というような言い方で、今でも耳に残っている。

私の好きな話

これまで何度も本書を読み返してきました。どの話も洒脱で秀逸なので、順位付けするのは難しいです。読み返す度に味わいが増し、どの話にも愛着が積み重なっていきます。

『雨の日には車をみがいて』という本書のタイトルのエピソードが挿入されている第1話の軽快感もいいし、第7話の分厚い物語展開も捨て難いものがあります。初読以来のお気に入りは第4話で、「バイエルンの貴婦人」の異名を持つBMW2000CSを巡る物語は何度読んでも魅力的です。

今回読んで魅力を再発見したのは第5話です。2CVをドゥ・シヴォと読むことは、この短編で初めて知った記憶こそありましたが、アンドレ・シトローエンの波乱万丈の生涯が小説内でこんなに詳細に語られていることは完全に失念していました。

車の人気は復活しないだろう

私は今、車に興味がありません。街を走っている車は、単なる商品、地点を移動するための道具としか見えていません。車は、何としても所有したいと心惹かれる対象ではなくなっています。五木氏も車のハンドルを自分で握らなくなって久しいと聞きます。

今後、車は一部の愛好家だけのものになるかもしれません。自分のことは棚に上げて、現在の車人気の凋落に心を痛めているひとりです。

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