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東京五輪2020・男子マラソン観戦記

本日は、東京五輪2020の最終日です。札幌市内の周回コースを使い、早朝7:00スタートで行われた男子マラソンを観戦した雑記を残します。

陸上競技選手団の戦績

陸上競技は7月30日からスタートしました。昨日終了時点で、日本選手団は、銀メダル1、銅メタル1、入賞6を記録しています。

【男子】
20km競歩 銀=池田尚輝、銅=山西利和
走幅跳 6位=橋岡優輝
50km競歩 6位=川野将虎
3000m障害 7位=三浦龍司(予選で日本新=8’09”92)
【女子】
10000m 7位=廣中璃梨佳 ※5000m決勝9位で日本新=14’52”84
1500m 8位=田中希実(準決勝で日本新=3’59”19)
マラソン 8位=一山麻緒 

日本記録を出した三浦選手、廣中選手、田中選手は、まだ20歳前後の若い選手ですが、ジュニア時代から注目されていた才能溢れるエリート・アスリートたちです。今回の結果を序章に、是非とも世界のトップレベルで活躍する選手に育っていって欲しいと願います。

大会の華、男子マラソン

男子マラソンは、「大会の華」とされ、大会最終日、陸上競技の最終競技種目に組み込まれることが多い種目です。

日本からは、2019年9月に行われた代表選手選考レースのMGCで1位、2位を占めた中村匠吾選手、服部勇馬選手と2020年3月の東京マラソンで2時間5分29秒の日本新記録(当時)を出した大迫傑選手の三人が出場しました。

スタートの7時時点の気温26℃、湿度80%と苛酷な条件下でのレースとなりました。酷暑による選手への身体的影響を懸念するIOCからの要請で、男女のマラソン・競歩競技については、札幌での開催に変更となっていましたが、それでもかなり厳しいコンディションでした。レースに出場した106選手中、多数の有力選手を含む30人が途中棄権しています。

前日の8月7日に行われた女子マラソンは、猛暑予報により、当初のスタート予定時刻を1時間繰り上げて6時のスタートとなりました。それでも、札幌市の気温は5時50分時点で気温は25.7℃で、時間の経過とともに気温はどんどん上がり、午前7時で27.5℃、午前8時で28.7℃、トップの選手がフィニッシュした午前8時半時点では29.1℃まで上がり、すべてのランナーがフィニッシュ後の午前9時10分時点では30.3℃を記録していました。

オトナの事情優先とはいえ、真夏にマラソンや競歩はやっぱり酷です。

異次元の強さを見せたキプチョゲ選手

レースは、前回のリオ2016の優勝者で、世界記録(2時間01分29秒)保持者のエリウド・キプチョゲ選手(ケニア)が、30.5km付近でスパートして集団から脱け出し独走。30kmからの5kmを、14分28秒でカバーする圧巻の強さを披露し、後続を1分以上引き離して2時間8分38秒で優勝しました。

五輪マラソンの連覇は、アベベ(エチオピア、 ローマ1960・東京1964)、チェルピンスキー(旧東ドイツ、モントリオール1976・モスクワ1980)に続く史上三人目の快挙です。

今年11月に37歳を迎えるキプチョゲ選手は、若い頃からトラック長距離レースのトップランナーとして活躍してきました。五輪は5000mで出場した、アテネ2004で銅メダル、北京2008で銀メダルを獲得しています。

初マラソンとなった2013年5月のハンブルクマラソンで、いきなり2時間5分30秒の好記録で優勝。以来マラソンでは無類の強さを誇り、出場レースでは殆ど敗けていません。2019年にはウィーンで開催されたイベントの非公認コースで、人類史上初めて2時間を切る1時間59分40秒を出しています。

競技能力に優れるだけではなく、「走ることで世界を素晴らしいものだと証明したい」という高邁な精神の持ち主で、マラソン絶対王者の称号に相応しい人格も兼ね備えた素晴らしい選手だと言われています。

過去に「ナイキ・エリート・ランニング・キャンプ」というトレーニングセッションで来日したキプチョゲ選手と一緒にトレーニングした経験のある中村匠吾選手は、「人として、選手以前に尊敬できる部分がたくさんある」と話しています。

大迫選手がラストランで6位入賞

日本選手では、1週間前にこのレースをラストランにすると発表していた大迫選手が、2時間10分41秒で6位入賞を果たしました。

苛酷な気象条件を考慮し、スタートから先頭集団の後方に控えて体力を極力温存する作戦だったようです。キプチョゲ選手がスピードアップして飛び出しても無理はせず、集団から離れた後も慌てず、日本記録を出した東京マラソンの時と同様に後半を粘り強く走り、前から落ちてくる選手を拾いながら、6位まで順位を上げてゴールしました。

ゴール後もしばらく、走ってきたコースの方を見つめる姿が印象的でした。インタビューでは、冷静にレース展開を振り返りながら、「100点満点のレース」と語ると、涙ぐむ様子も見えました。現役最後のレースと心に決め、並々ならぬ覚悟で準備を進めてきた思いがこみ上げたのだろうと思います。

大迫選手が変える陸上界の未来

大迫選手は、名実共に日本長距離界を牽引するスターランナーであり、マラソン王国・ニッポンの復興を目指す中心的な存在でもありました。

大迫選手を現在の地位までのし上げたのは、「大迫イズム」と形容してもよいほどの頑固でストイックな姿勢かもしれません。彼の歩んだキャリアをみると、「世界のトップレベルで戦いたい。その為に自分が最善と信じられる妥協なき環境を求め、悔いのない努力をやり切る」という揺るぎない信念を持ち、実践してきたように思えます。

早稲田大学卒業後は、日本の社会人チームを1年で辞めて渡米。ナイキ・オレゴン・プロジェクトに所属して、コツコツとトラックレース中心に実力を磨いていきました。

4年前のリオ2016は、5000m・10000mで出場しています。大会終了後にマラソンへ転進し、2018年のシカゴマラソンでは、2時間5分50秒の当時の日本記録を樹立しています。ところが、期待された2019年のMGCで3位に敗れ、代表内定を逃すと、更なる高みを求めて、ケニアでの厳しい環境でのトレーニングも積んできました。決して順風満帆なキャリアという訳ではなく、過去7回出走したマラソンでは優勝の経験がありません。

有言実行でたえず自分に負荷を与えてきました。上を目指す姿勢、意志の強さに魅了された協力者や支援者たちが現れ、彼を慕う後輩達が周囲へと集まってきました。

大迫選手がこのレースを最後に現役生活を退くことに、驚きはありません。年齢的には(30歳)まだやれるような気もしますが、本人としては、さすがにこれ以上、心身を削り、血の滲むような日々は続けられない、という気持ちがあるのでしょう。

彼には、アスリートとしての能力に負けず劣らずの、プロデュース能力、コーディネート能力、実業家として活躍する能力が備わっていると感じます。彼は、今後世界に通用する選手を本気で育成するプロジェクトに没頭していくのではないかと想像しています。アスリート活動と同じくらい情熱を注ぎ、周到に準備を進めてきた道に完全に軸足をシフトするでしょう。

大迫選手は、陸上長距離界を大胆に変革する存在になるかもしれません。サッカーの中田英寿選手や本田圭佑選手、ラグビーの平尾誠二選手のようなイコンになるでしょう。私は彼が今後進む道の方がむしろ楽しみです。

日本代表選手というプレッシャー

中村選手、服部選手には辛いレースになりました。

スタートから第二集団でレースを進めた中村匠吾選手は2時間22分23秒で62位、レース前半は先頭集団に食らい付いたものの、中盤以降に失速してしまった服部勇馬選手は2時間30分8秒の73位に終わりました。

ふたりとも、レース前の強化・調整が順調ではなかったのかもしれません。早々に日本代表に内定し、開催が1年延期されたことで、期待と不安の重圧に晒されている期間が間延びしてしまいました。コンディション作り、特にメンタルの維持が難しくて、疲弊してしまったのかもしれません。

この1年で日本長距離界のレベル向上が顕著になっています。マラソンでも、今年3月に2時間4分台の日本新記録と多数の2時間5分台ランナーが生まれています。この流れは目に見えない重圧になっていた可能性はあります。

トレーニングとコンディション作りに苦労したのは、大迫選手や他の海外選手も条件は同じです。本人たちに言い訳する気持ちは微塵もないでしょう。今回の経験を糧に再起を図り、更なる上を目指して欲しいと思います。

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