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『50歳からの「死に方」』を読む

本日は、弘兼憲史『50歳からの「死に方」 残り30年の生き方』の再読、読書感想文です。


弘兼憲史氏の人生論

弘兼憲史氏は、ベストセラー『島耕作』シリーズや『黄昏流星群』『人間交差点』などの社会派マンガ作品で知られる超売れっ子作家です。また、1947年生まれで自身が団塊世代に属することを踏まえた人生についての著書も幾つか出しておられます。

弘兼氏には、サラリーマンの経験があります。そのせいか、作品で扱われている状況設定には絶妙のリアル感が漂います。以前、散髪屋での順番待ちで読み始めたら、「お前みたいな大したことないヤツの末路は、まあこんな感じだよ」という残酷な現実を突き付けられたような気がして、氏のマンガ作品は遠ざけてきました。弘兼氏の価値観や生き方を覗く機会になったのは、本書が最初です。

「生き方」を考える前提に「死に方」がある

本書に出会った2015年は、私のこれまでの価値観が激しく揺れ始めた時期でした。

「生き方」を真剣に考えるのであれば、最終到達地点である「死に方」から逆算して考えるのがいいのではないか、という発想は以前から漠然と持っていました。「死」は、人間として絶対に逃れることのできない宿命です。ところが、いつか必ずやってくる「死」を恐怖心からなかなか直視できず、曖昧にしながら日々を過ごしていました。

2015年頃から、自分が日本を構成する世代の中心層から外れ、人生が下り坂を迎えた、という実感が強くなってきました。漠然と上り続けていた「坂の上の雲」にもどうやら到達し、この先は大した脚光を浴びることがなさそうなことも見えてしまい、虚無感や焦燥感を誤魔化しながら無理してやり過ごそうとしていた気がします。

当時はまだ50歳を数年後に控えた時期だったので、本書の内容にはピンとこない部分もありました。今回再読してみて、再確認・再認識したことも多かったです。当時は迎えたくないと目を背けていた未来を現在の私は迎え、もがいた末に採るべき道を進んでいるという不思議な既視感があります。

「死に方」を意識すると「生き方」はシンプルになる

私が本書から学んだのは、「死に方」から逆算して、「生き方」を考える具体的な方法です。

弘兼氏は、現在の日本では法的にも倫理的にも認められていない尊厳死・自尊死を肯定しているように思えます。私も、現状回復する望みを断たれた状態で、人工的なサポートによって生き続けることには否定的です。自分が授かった命だから、有効に使いたい、周囲から求められず、邪魔者扱いを受けながら、ただ生き永らえるのは恥ずべき行為だ、という気持ちがあります。

起きた結果を真摯に受け容れ、自責で生きていく気持ちは棄てずにやっていきます。その覚悟が決まれば、考え方はシンプルに変化します。それまでは自己否定に繋がるのではと躊躇して我慢していた、自分の居心地が良くない環境から逃げることへの罪悪感は消えました。

自分の立場や行動を、都合良く正当化しているだけかもしれません。ただ、人生五十年の義務を果たしたら、他人の期待に応えて生きるのを放棄してもいいのではないでしょうか。自分に期待していない人たちの身勝手な期待を無視しても、犯罪には問われない筈です。結末に自分で責任を負う覚悟さえあれば、乗り越えていける筈です。

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