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『マキアヴェッリ語録』を読む

本日は、塩野七生『マキアヴェッリ語録 』(新潮新書1992)の読書感想文です。若い頃に読み、複雑な感情を抱いて挫折してしまった名著を買い直し、再読に挑戦しました。

大作家、塩野七生氏

イタリア・ローマ在住の歴史作家・随筆家の塩野七生(1937/7/7-)氏は、日本を代表するベストセラー作家であり、論客でもあります。特に、古代ローマを舞台とする『ローマ人の物語』シリーズは息の長い人気を誇ります。

一連の古代ローマ史やイタリア史、イタリア文化についての著作によって、日本でのイタリア人気に大きな貢献をしたことで知られますが、その作品が歴史書と受け取られ、歴史家からは史実の誤りや歪曲を指摘されることもあり、論争を招いたこともあります。また、政治的に保守右派のタカ派的発言が批判を受けることもありました。

私は、上記のような背景とは別に、若い読書修行時代から、塩野作品とはどうも相性が悪く、個人的には興味深いテーマを扱った作品が多いにも関わらず、最後まで読み通すことができず、途中で挫折することを繰り返してきました。本書も過去に買った記憶があるのですが、読み通した記憶がなく、ひょっとしたら積ん読のまま、今も実家に置いてある可能性が大です。

先日アップした芥川龍之介の名言を扱った記事を書くために資料を漁っていた所、塩野氏が語ったことばが収録された『千年語録 次代に伝えたい珠玉の名言集』(小学館)を探していた際、本書と偶然再会したという次第です。

マキャヴェッリ≠マキャベリズム

本書は、『君主論』の著作で知られる、15~16世紀の大思想家、ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli 1469/5/3-1527/6/21)が著作に残したことばから、塩野氏が自身の琴線に触れる部分を抜粋したものです。

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引用元は、主著である『君主論』『戦略論』ばかりではなく、初期のエッセイなどからも抜粋されています。

マキャヴェッリは、どんなに卑怯で非道徳的な行為であっても、結果として国家の利益を増進させるのであれば許容されるという権謀術数礼賛の『マキャベリズム』の語源になった人物であり、毀誉褒貶があります。マキャヴェッリ擁護派の塩野氏は、冒頭の解説で、その評価はフェアではない、と断言します。

マルクスが『資本論』に著した内容が歪曲されて、『マルキシズム』という別物の政治思想に昇華していったように、マキャヴェッリが、『君主論』で著した内容の部分が意図的に切り取られ、『マキャベリズム』という形で独り歩きしたようなものかもしれません。

大思想家、マキャヴェッリ

本書は、第一部が君主篇、第二部が国家篇、第三部が人間篇の三部構成です。塩野氏が、本書は内容解説ではなく、自分がマキャヴェッリ思想の神髄を現わしていると考える部分の抜粋である、とことわりを入れています。こうして塩野氏が厳選したマキャヴェッリのことばを読み返すと、本質を突いた、人間の機微を知り尽くした奥深いものを感じ、ドキッとしたり、深く頷いたり、身に覚えがあって背筋に悪寒が走ったりすることが何度もありました。

歴史の風雪に耐え抜いてきた『君主論』は、現代人の嗜みとして読んでおくべき本なのでしょう。機智と示唆に富む名著なのだと再認識しました。

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