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『自分の中に毒を持て』を読む

本日無事に51歳と186日目、無職6日目を迎えることが出来ました。感謝!

岡本太郎の名著を読む

昨日の夜から、岡本太郎『自分の中に毒を持て〈新装版〉』(青春出版社 1993年)を読んでいます。

私が買ったものには、目を引く真っ赤な表紙が巻かれていました。

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大阪万博の記念モニュメント「太陽の塔」の作者として知られる世界的アーティスト、岡本太郎(1911-1996)は、標準的な日本人の規格をぶち破る個性的な価値観の持ち主だった人です。

本書をお薦めしている人が多いので、私も感化されてアマゾンで注文して読み始めました。

頭を殴られた感じ

内容は期待していた以上でした。『第一章 意外な発想を持たないとあなたの価値は出ない』を読んだだけで、ノックアウトされました。この章は、今の私に向けて書かれたものなのか?と錯覚するくらいのメガトン級の衝撃がありました。

私の心の奥のあるものを見透かされ、頭を殴られたような感覚です。背中を押してくれていると感じる部分と徹底的にダメ出しされていると感じる部分とが交錯し、読後しばらく経った今も心が動揺しています。

幸福になりたいはダメなの?

岡本氏は、このように言い切ります。私が当初共感出来なかった部分です。

ぼくは、“幸福反対論者”だ。幸福というのは、自分に辛いことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと安全な状態を言うんだ。(P82)

岡本氏が定義した「幸福」は、まさに私が追い求めている究極の目標 ー自分に辛いことや心配なことが何もなくて、ぬくぬくと安全な状態ー です。「幸せに、気分良く生きていきたい」は、私の重要な価値観であり、人生の最終到達点だと思ってこれまで理想を追い求めてきました。

岡本氏はその偽善を完全否定します。この世界中で起こっている不幸な現実に目をつぶって、自分自身が幸せならばそれでいい、というのはエゴの塊であり、ニブイ人間である、と断罪されました。私が切望している幸福願望を、あっさりと否定されてしまったのでかなり困惑しました。

私が自分本位の幸福願望を持っているのは確かです。でもできるだけ多くの人が幸せに、自分本位に生きられる世の中であって欲しいと願っています。それが理想論であり、この世界が幸福な人と幸福な感情だけで満たされることはないだろう、という現実的な見立てと諦念も持っています。

日々懸命に生きていく中で訪れる、一瞬の安らぎ、心の平穏、しばしの休息といったものは、一度きりの人生に求めてはいけない要素なのでしょうか? 私には愛する家族がいるので、家族の生活を守るためならば、自分を偽ることも世間の大きな欺瞞に敢えて目をつぶることも受け容れてしまうような気がしています。

幸福の上限にはキリがない

そう反発する思いがあったものの、時間が流れて気付いたこともあります。

追い求める幸福の上限にはキリがありません。どんなに理想的な状態を追い求めたところで、寸分たりとも不満や不安のない状態なんて決して訪れないのも事実でしょう。あらゆることに命を賭けて挑み続けた闘士、岡本太郎の発想は、幸福を追い始めるとキリがないという特性を知って、人間は「幸福」を人生の目的に据えてはいけない、という戒めを伝えたかったのかもしれない、と思います。

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